脂肪酸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
脂肪酸(しぼうさん)とは、長鎖炭化水素の1価のカルボン酸である。一般式 CnHmCOOH で表わせる。グリセリンをエステル化して油脂を構成する。脂質の構成成分として利用されるほか、ヒトを含む多くの生体内ではエネルギー源として好気的に代謝される(β酸化)。
広義には油脂や蝋、脂質などの構成成分である有機酸をさすが、狭義には単に鎖状のモノカルボン酸を示す場合が多い。炭素数や二重結合数によって様々な呼称があり、鎖状のみならず分枝鎖を含む脂肪酸も見つかっている。また原核生物からは環状構造を持つ脂肪酸も見つかってきている。
目次 |
[編集] 脂肪酸の分類と呼称
脂肪酸 (fatty acid) は主に炭素数と二重結合あるいは三重結合を有するか(不飽和度)によって分類がなされる。不飽和度による分類はさまざまであるが、基本的には以下の分類に従う。
- 飽和脂肪酸 (saturated fatty acid, SFA) — 炭素鎖に二重結合あるいは三重結合を有しない(飽和である)
- 不飽和脂肪酸 (unsaturated fatty acid, UFA) — 炭素鎖に二重結合、三重結合を有する
また不飽和脂肪酸は二重結合の数が1つであるか、複数であるかによって以下の分類がなされる。
- モノエン脂肪酸(一価不飽和脂肪酸、monounsaturated fatty acid, MUFA) — 二重結合の数が1つである
- ポリエン脂肪酸(多価不飽和脂肪酸、polyunsaturated fatty acid, PUFA)— 二重結合の数が2つ以上である。二重結合の数が4つ以上のものを高度不飽和脂肪酸と呼ぶ場合もある。
また、二重結合の有無および炭素数の差異によって名称が異なる。詳細は以下に述べる。
脂肪酸は生合成を受ける際に炭素数が2個ずつ増加していくため、基本的には炭素数が偶数個の脂肪酸が大半を占めるが、α酸化を受けることによって炭素数が奇数個の脂肪酸が合成されることもある。不飽和度以外の分類方法は、以下にまとめる。なお炭素数による分類は別項を設ける。
- 分枝脂肪酸 — 分子鎖を有する脂肪酸
- 環状脂肪酸 — 環状構造を有する
- ヒドロキシル脂肪酸 — ヒドロキシ基を含む
[編集] 炭素数による名称
脂肪酸は主に炭素鎖の有する炭素数によって名称が異なっている。またIUPAC名(系統名)と慣用名を同時に有するため、名称を扱う際にいささか困難な状況であるかもしれない。以下の名称は全て直鎖の脂肪酸である。分枝脂肪酸は割愛する。
炭素数 | IUPAC名 | 慣用名 |
---|---|---|
4 | n-ブタン酸 | ブチル酸(酪酸) |
5 | n-ペンタン酸 | バレリアン酸(吉草酸) |
6 | n-ヘキサン酸 | カプロン酸 |
7 | n-ヘプタン酸 | エナント酸(ヘプチル酸) |
8 | n-オクタン酸 | カプリル酸 |
9 | n-ノナン酸 | ペラルゴン酸 |
10 | n-デカン酸 | カプリン酸 |
12 | n-ドデカン酸 | ラウリン酸 |
14 | n-テトラデカン酸 | ミリスチン酸 |
15 | n-ペンタデカン酸 | ペンタデシル酸 |
16 | n-ヘキサデカン酸 | パルミチン酸 |
17 | n-ヘプタデカン酸 | マルガリン酸 |
18 | n-オクタデカン酸 | ステアリン酸 |
19 | n-ノナデカン酸 | ツベルクロステアリン酸 |
20 | n-イコサン酸 | アラキジン酸 |
22 | n-ドコサン酸 | ベヘン酸 |
24 | n-テトラコサン酸 | リグノセリン酸 |
26 | n-ヘキサコサン酸 | セロチン酸 |
28 | n-オクタコサン酸 | モンタン酸 |
30 | n-トリアコンタン酸 | メリシン酸 |
一般に炭素数が短くなると融点が下がる。炭素数5の n-ペンタン酸などでは融点は −34.5 ℃ である。一方、炭素数が増加すると融点は上昇する。炭素数30の n-トリアコンタン酸の融点は 93.6 ℃ である。炭素数が7以下のものを短鎖脂肪酸、8–10のものを中鎖脂肪酸、12以上のものを長鎖脂肪酸という。
[編集] 不飽和度による名称
不飽和度による名称は以上にあげた、ポリエン脂肪酸および高度不飽和脂肪酸が主なものであるが、上記の炭素数による名称と絡めて特定の名称が与えられることが多い。例えば、高度不飽和脂肪酸として有名なEPA(エイコサペンタエン酸、炭素数20)の系統名は
- 5,8,11,14,17-エイコサペンタエン酸
である。数字は、カルボキシル基の炭素を1とした場合の炭素の番号を意味しており、5であればカルボキシル基から数えて5番目の炭素となる。数字はその炭素が二重結合を有していることを示しており、炭素数20のうち、5番目、8番目、11番目、14番目、17番目の炭素が二重結合を有することを示している。そしてペンタエンとは二重結合を5個有することを意味する。
このように、二重結合の箇所および二重結合数を有するキーワードを上記の炭素数による名称の中に組み込むことによって、それぞれの名称が与えられる。
しかしながら、中にはポリエン脂肪酸の中には慣用名が用いられているものがある。主なものには
等がある。その系統名的名称を付記しておく。
あるいは、単純に炭素数および不飽和数を筆記するだけの方法もある。例えばエイコサペンタエン酸の場合は炭素数20、二重結合数5であるから
- EPA (20:5)
と表記する。 このとき、ω-3 系列か、ω-6 系列かをはっきりさせるため、20:5ω-3 (20:5n-3 とも)表記することもある。
[編集] 脂肪酸生合成系
脂肪酸生合成はアセチルCoA(炭素数2)を出発物質として、ここにマロニルCoA(炭素数3)が脱炭酸的に結合していく経路である。すなわち、炭素数2個ずつ反応サイクルごとに増加し、任意の炭素鎖を持った脂肪酸が作成されることとなる。
また、脂肪酸生合成反応が起きるには補酵素Aは用いられず、アシルキャリアータンパク質 (ACP) にアセチル基が結合したアセチルACPおよびマロニルACPが実際の反応をになうこととなる。以下に反応系を示す。
- アセチルCoA(C2) + CO2 + ATP → マロニルCoA(C3) + ADP + Pi
- アセチルCoA + ACP → アセチルACP + SH-CoA
- マロニルCoA + ACP → マロニルACP + SH-CoA
- アセチルACP + マロニルACP → アセトアセチルACP(C4) + CO2 + ACP
- アセトアセチルACP + NADPH → βヒドロキシブチリルACP(C4) + NADP+
- βヒドロキシブチリルACP → クロトニルACP(C4) + H2O
- クロトニルACP + NADPH → ブチリルACP(C4) + NADP+
- ブチリルACP + マロニルACP → カプリルACP(C6) + ACP + CO2
8.の反応は4.の反応と同じである。このように炭素数2個ずつの脂肪酸炭素鎖の伸長が行なわれる。なお、上記の反応を触媒する酵素は以下の通りである。
- アセチルCoAカルボキシラーゼ
- アセチルトランスフェラーゼ
- マロニルトランスフェラーゼ
- 3-ケトアシルシンターゼ
- 3-ケトアシルレダクターゼ
- 3-ヒドロキシアシルデヒドラターゼ
- エノイルレダクターゼ
- 3-ケトアシルシンターゼ
[編集] 高度不飽和脂肪酸の生理活性
高度不飽和脂肪酸 (PolyUnsaturated Fatty Acid, PUFA) には主に2系統存在し、ω-3 (n-3 とも言う)系統と ω-6 (n-6 とも言う)系統に大別される。ω は古い表示で、最近は n と示すのが通常になっている。これらの分類は、炭素間二重結合の位置によるものであり、ω-3 は脂肪酸のメチル末端(カルボン酸と逆)から数えて最初の二重結合炭素が3つ目のもの、ω-6 は脂肪酸のメチル末端から数えて最初の二重結合炭素が6つ目のものの事を言う。
これらは動物では体内で生合成することができない(動物は ω-9 系統のみ可)。より正確に記述するなら、ω-9 系統から ω-6 系統、ω-3 系統を合成したり、ω-6 系統から ω-3 系統を合成する、系統間の変換は不可能である。これは、ω-6 位に二重結合を作る Δ12-デサチュラーゼや ω-3 位に二重結合を作る Δ15-デサチュラーゼといった酵素が動物には存在せず、ω-6 位、ω-3 位に2重結合を作れないためである。しかし、例えば ω-6 系統であるリノール酸 (18:2) から同じ ω-6 系統であるアラキドン酸 (20:4) を合成する系統内の変換は可能である。これは非常に重要なことで、ω-6 系統、ω-3 系統はそれぞれ別の必須栄養素であることを示している。このため、体内で合成したり変換して得ることのできない動物は、外部から摂取して得るしかない。よく構造の類似した脂肪酸ではあるが、ω-6 系統、ω-3 系統は動物にとって似て非なるものなのである。
植物においては ω 系統間の変換が可能であり、植物の産生する ω-3、ω-6 系統の脂肪酸が動物の ω-3 系統や ω-6 系統のソースとなっている。
ω-6 系統であるアラキドン酸は体内の生理活性物質であるロイコトリエンやプロスタグランジン、トロンボキサンの材料である。これらの欠乏が持続するとやがては死亡する。このため、アラキドン酸やその合成原料となるリノール酸は必須脂肪酸と呼ばれ、1エネルギー% の摂取が必要とされる(しかし、現在の日本で欠乏はほぼ起こらないと考えられる。懸念すべきは過剰摂取である)。代表的なものにリノール酸やアラキドン酸、γ-リノレン酸 (18:3) がある。必須栄養素ではあるが、過剰な摂取により炎症などの反応が亢進すると考えられている。日本の食生活では ω-6 系統の脂肪酸摂取量は増えつつあるとされる。このことと近年のアレルギー患者や炎症性疾患の大腸ガン患者の増加との関連が指摘されている。
また ω-3 系統も同様にロイコトリエンなどに変換される。しかしながら、ω-6 系統を材料にしたものに比較して生理活性が低い、あるいは無いという特徴がある。生理活性が低いということで、過去、食用油脂から要らない物として除去されたこともある。しかし、生理活性の強い ω-6 系統と競合することで、免疫や凝血反応、炎症などにおいて過剰な反応を抑えるということが明らかになった。いわば ω-6 系統のブレーキ役であるといえる。実際に ω-3 系統の脂肪酸の1つであるEPA (eicosapentaenoic acid, 20:5) で血小板凝集抑制作用があることが知られている。その裏返しとして、EPA の過剰な摂取により出血傾向が現れることが指摘されている。ω-3 系統も ω-6 系統に遅れて必須栄養素となった。代表的なものにα-リノレン酸 (18:3)、EPA、頭が良くなるともてはやされた DHA (docosahexaenoic acid, 22:6) がある。日本の食生活では ω-3 系統の脂肪酸摂取量は減りつつあり不足していると懸念される。
ω-3 系統と ω-6 系統は前述の生理活性物質に変換される際、全く同一の酵素の作用により変換されていく。これら2系統の脂肪酸の競合は合成の段階から行われている。しかし、変換酵素の親和性は ω-3 < ω-6 であるとされ、適切な脂肪酸バランス(ω-6 系統由来の適切な生理活性と、ω-3 系統のブレーキ的役割)のためには、ω-3 系統を ω-6 系統より多く摂取する必要があるとされる。また、脂質の過剰摂取によるカロリー過多などの弊害は ω 系統に関わらず発生するため、全体の脂質摂取量を減らしながら、ω-6 系統の摂取を減らし、ω-3 系統の割合を増やすのが良いとされる。ω-6 系統は、高リノール紅花油、高リノールひまわり油、大豆油、菜種油、月見草油などに高い割合で、ω-3 系統は紫蘇油、亜麻仁油、魚油などに高い割合で含まれる(注意すべきなのは ω-3 系統 と ω-6 系統の含まれる比である。例えばある油1キログラムに ω-3 系統が300グラム入っていたとしても、ω-6 系統が500グラム入っていたならそれは ω-6 系統の豊富な油となる)。
摂取において注意する点として、2重結合が多ければ多いほど酸化に弱いことが挙げられる(二重結合は、炭素数が同じならば ω-3 系統 > ω-6 系統 > ω-9 系統の順に多くなっている)。すなわち、揚げ物や炒め物など加熱調理すると、大気中の酸素と反応が促進され、酸敗した油となる。酸敗してできた揮発性物質は、眼粘膜への刺激を起こしたり、アレルギーの原因となる可能性があるため、摂取を避ける方が好ましい。また、異臭を起こすなど風味を損なうなどして、ω-3 系統を使用した料理を忌避するようになり、摂取量が低下しても良くない。このため、ω-3 系統の油での激しい加熱調理は避け、マヨネーズやドレッシングとして摂取するのが良いだろう。加熱をしたとしても煮るなどの緩徐な加熱に留めるべきである。揚げ物や炒め物などの加熱調理は二重結合の少ない ω-9 系統や ω-9 系統 + ω-6 系統の混合油に頼るべきである。ω-9 系統が多い油脂は動物脂、高オレイン紅花油、高オレインひまわり油、菜種油、オリーブ油である(市販のサラダ油は菜種油、大豆油、菜種+大豆油のいずれかであることが多い。また、エコナは菜種を原料とするため ω-9 系統が多いと言える)。
前述の EPA や DHA は、SREBP-1a,1c (sterol-regulated element binding protein) という転写因子と結合することで脂肪酸合成系の酵素の発現を抑え、血中の中性脂質濃度を下げるといった働きを示す。また、ステロール合成系の酵素発現も低下させ、血中コレステロール値も下げる働きがある。これを受けて、EPA をエチルエステル化したものが血中脂質低下の薬剤として持田製薬からエパデールの名前で販売されている。
ω-3 系統は行動の静穏化を示唆する報告がなされている。具体的には、ω-6 系統を多く含んだ餌を食べさせたマウス群と ω-3 系統を多く含んだ餌を食べさせたマウス群を、普段とは違った環境のところにおくと、ω-6 系統のマウス群は初めて見る周囲の状況を把握するためか盛んに動き回ったのに対し、ω-3 系統のマウス群は動き回りはするものの ω-6 系統で飼育したマウス群ほど活発ではなかった、というものである。どのようなメカニズムでこのような差が出るかははっきりしていない。このことと、日本の食生活が ω-3 系統から ω-6 系統へ傾きつつあり、日本で「キレる」若者が増えつつあることを議論する向きもあるようである。
また年単位の長期にわたる摂取で、魚油がうつ病や自殺の発生率を低下させるといった報告がなされたり、時に敵意の形をとって症状が現れる精神疾患の類の緩解に対する改善の試みなどがなされて、一定の成果を上げている様である。前述の行動の静穏化の話も含めて、ω-3/ω-6 のバランスは行動や性格に影響を与える可能性は高いと考えられている。