ヤマハ発動機
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種類 | 株式会社 (東証1部:7272) |
本社所在地 | 静岡県磐田市新貝2500 |
設立 | 1955年7月1日 |
業種 | 輸送用機器 |
事業内容 | 自動二輪車・自動車エンジン・船舶エンジンなど |
売上高 | 1兆3,752億円(05.12期・連結) |
外部リンク | http://www.yamaha-motor.co.jp |
ヤマハ発動機株式会社(ヤマハはつどうき YAMAHA MOTOR CO., LTD.)は、日本の輸送用機器を中心とするメーカーの一つ。
目次 |
[編集] 会社概要
飛行機プロペラなどの軍需生産のための製造設備の平和利用を目的とし、日本楽器製造(現ヤマハ)社内でのオートバイ生産を開始、1955年7月1日に日本楽器製造から分離される形で、オートバイ製造販売業としてスタートした。この関係で、ヤマハと同様の「YAMAHA」ロゴや、円の中に音叉が3つ組み合わさったマークを使っているが、ロゴは「YAMAHA」のMの字が("M"の真ん中の"V"の部分が地面についていないのに対して、YAMAHA発動機のほうは、Vが地面についている)、音叉マークは音叉の長さ(YAMAHAが音叉の長さが短いのに対して、YAMAHA発動機は長い)がそれぞれ異なっている。これにより、どちらの製品かを見分けることが可能である。なお売上高においてヤマハグループのトップ企業であり、2005年度の決算ではヤマハ本社との比較で倍以上の数字となっている。
現在はオートバイ・スクーター部門だけでなく、レジャーボート(フィッシングボートを含む、また、最近ではごく一部ではあるがヤンマーと共同開発(ヤンマーフィッシングボート「FZ30」、2006年4月発売)を行っている)、船外機、スノーモービルなどのモーター関連事業や電動自転車、産業ロボットなどの産業機器などを展開している。自動車用エンジンの生産では、従来より供給を行ってきたトヨタ自動車の他にも、販路をフォードグループへ拡大。2004年11月には、ボルボ・XC90向けにV型8気筒4.4lエンジンを生産することが発表されている。無人ヘリコプターも生産しているが、2005年12月、軍事転用可能な無人ヘリコプター「RMAX Type II G」の改良型「L181」を中国BVE社に不正輸出しようとした疑いで外為法違反容疑でヤマハ発動機は刑事告発を受けた。
またヤマハ発動機サッカー部は、サッカーJリーグのジュビロ磐田の母体となった(ジュビロ磐田の住所はヤマハ発動機株式会社本社住所に同じ)。
かつては、人力飛行機チーム「エアロセプシー」が存在し、鳥人間コンテストで彦根市から琵琶湖西岸まで到達する記録を残した。
[編集] モータースポーツ
[編集] 二輪
1955年に日本国内レースである富士登山レースや浅間火山レースに出場し、ホンダなどの先行有力メーカーを抑えて優勝するなど、創業直後から積極的にモータースポーツに参加し成功を収めている。二輪ロードレース競技においては他のメーカーと凌ぎを削る状態となっており、特にロードレース世界選手権ではホンダと激しいトップ争いを繰り広げている。2004年からはホンダから移籍したバレンティーノ・ロッシがエースとなり、MotoGPクラスで2年連続シリーズチャンピオンとなっている。また2005年はMotoGPクラスにおいてライダー(ロッシ)、チーム(ゴロワーズ・ヤマハ)、コンストラクターの三冠を達成した。
[編集] 四輪
また、4輪モータースポーツにもエンジンコンストラクターとして参戦経験があり、1985年には全日本F2選手権にV6エンジンのOX66で、1987年に全日本F3000選手権にV8エンジンのOX77(中身はコスワースDFVを5バルブ化したエンジンのため「コスワース・ヤマハ」と呼ばれた)でそれぞれ参入、鈴木亜久里らがドライブするマシンに搭載されて活躍した。
翌1989年にV8エンジンのOX88をザクスピードへ供給し、亜久里とともにF1に参入したが、エンジンの信頼性に欠け予備予選通過もままならぬ有様で、一時撤退を余儀なくされる。
1991年にブラバムへV12エンジンのOX99を供給し復活を果たすが、後半戦に2度の入賞を記録するも、それ以上の成績が出なかった。1992年もジョーダンへ供給するが、クーリングに問題が出るなどシャーシとのマッチングが上手く行かずに最終戦でようやく1ポイントを獲得するのみと、前年と同様に成績はふるわなかった。またシーズン途中からジャッドと提携を開始した。また同エンジンを搭載した市販予定スポーツカー、OX99-11を発表するものの、市販の実現には至らなかった。
1993年には開発済みだった新しいV12を諦め、ジャッドのV10エンジン(ジャッドGV)をベースにV10エンジンのOX10を開発、片山右京所属のティレルに供給した(ちなみにジャッドGVはホンダRA100Eをベースに開発されたエンジンのため、RA100Eやその後継機である無限MF351HとOX10は遠い親戚という関係になる)。最初はそれほどの成績が出せなかったが、翌年には右京が予選5位を2回記録、チームメイトのマーク・ブランデルもスペインGPで3位表彰台を獲得、その他にも度々上位を走行するなどトップチームに肉薄する性能を発揮したが、シーズン後半にはエンジンのパフォーマンスアップを重視した為、エンジンの信頼性をやや落とす結果になった。
1996年には、当時のF1エンジンとしては革新的なサイズと重量のOX11を開発するも、剛性不足の為エンジンに捻れが発生し信頼性不足を招く要因となったが、それが判明したのはヤマハがF1活動を終了した後だった。
1997年にはアロウズに供給。ハンガリーGPではデーモン・ヒルの手によって、ラスト1周までトップを快走したが、2位に終わり初優勝はならなかった。結局この年限りで契約が終わり、ヤマハとしてのF1活動は終了した。
[編集] サーキット
1975年、宮城県村田町にテストコースを建設した。これが現在の「スポーツランドSUGO」となっている。スーパーバイク世界選手権やモトクロス世界選手権の開催実績があり、また全日本格式の選手権レースが開催されている。
[編集] 沿革
- 1955年1月 - 静岡県浜名郡浜北町(旧浜北市)に日本楽器製造(現ヤマハ)浜北工場設立、二輪車「YA-1」(125cc)の生産を開始
- 1955年7月1日 - ヤマハ発動機株式会社発足
- 1966年2月 - トヨタ・2000GTへの技術供与
- 1972年2月 - 静岡県磐田市に本社を移転
- 2000年3月 - トヨタ自動車との提携強化
[編集] 主要な製品
- オートバイ
- マリン製品(モーターボート・漁船・船外機・水上オートバイ(マリンジェット)・エンジン)
- スノーモービル
- バギー(ATV)/レーシングカート(KART)
- 汎用エンジン
- 電動乗用機類(カート(CART)・車椅子)
- 電動アシスト自転車 - パス(PAS)
- 発電機
- 産業用ロボット
- 産業用無人ヘリコプター(ヤンマーにもOEMとして供給している)
- ガスヒートポンプエアコン(GHP)(2000年にて製造を止め、市場撤退)
- プール(FRP製のプールを販売をしている。国内プールのシェアはトップ)
- 除雪車
[編集] 製品 (オートバイ)
[編集] 50cc以下(原付一種)[編集] 電動スクーター(原付一種)
[編集] 125cc以下(原付二種)[編集] 125cc超250cc以下
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[編集] 250cc超400cc以下[編集] 400cc超750cc以下[編集] 750cc超[編集] 逆輸入車[編集] 海外生産輸入車
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[編集] 過去のオートバイ車種
[編集] 50cc以下
[編集] 50cc超125cc以下
[編集] 125cc超250cc以下 |
[編集] 250cc超400cc以下[編集] 400cc超600cc以下[編集] 600cc超750cc以下[編集] 750cc超
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[編集] 製品 (全地形対応車)
- グリズリー660
- グリズリー125
- ラプター50
- ラプター80
- ブラスター
- YFZ450
[編集] 製品 (スノーモービル)
- RSVector SP
- RSVector Mountain SE
- PHAZER
- PHAZER Mountain Lite
- VK Professional
- VK540III
- RX-1 Mountain SE
- VT500XL
- Venture Multi-Purpose
[編集] 関連項目
- ヤマハ発動機サッカー部 (ヤマハ発動機のサッカー部。ジュビロ磐田の前身)
- ヤマハ発動機ジュビロ (ヤマハ発動機のラグビー部)
- ヤマハコース (袋井テストコース)
[編集] 外部リンク
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