麻布中学校・高等学校
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麻布中学校・高等学校 | |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人麻布学園 |
設立年月日 | 1895年 |
共学・別学 | 男子校 |
課程 | 全日制の課程 |
所在地・連絡先 | |
所在地 | 〒106-0046 |
東京都港区元麻布2-3-29 | |
電話番号 | 03-3446-6541 |
Fax番号 | 03-3444-2337 |
麻布中学校・高等学校(あざぶちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都港区元麻布にある私立中学校、高等学校。中高一貫制男子校。設置者は学校法人麻布学園。
制服や校則のない校風と東京大学合格者を毎年多く輩出している(2005年度87名・卒業生を含む数字)ことから、マスメディアに取り上げられることが多い。
目次 |
[編集] 交通
[編集] 沿革
全て月日が付属しない年表示は年度である。
- 1895年に江原素六により東洋英和学校内に東洋英和学校内尋常中学部を創立し、同年私立麻布尋常中学校と改称。
- 1899年、麻布中学校と改称。
- 1900年、現在の立地に新校舎が落成し、移転。
- 1901年、集成館を創立。旧制中学第一学年を主に収容し進学時に麻布中学校に編入させ、それによって麻布中学校の定員超過を名目上解消する事を目的とした。
- 1903年、債権整理の為組織を麻布中学校財団法人として財団法人化する。
- 1912年、人数超過の改称と法の改正に伴い集成館を廃止。
- 1922年、校長江原素六死亡。2代校長に清水由松が就任。
- 1924年、麻布中等夜間学校開校。
- 1926年、山中湖畔の土地を学校用地として買収。翌年洗心寮建設。後に山内一郎によって売却され売却益を横領される。
- 1930年から1931年頃、校歌制定。現在の物と合わせて3番まで。
- 1931年、現在の普通教室が入っているロの字型の校舎のうち学園のHPに掲載されている絵に写る塔を中心とした2辺が完成。
- 1932年、麻布中等夜間学校が麻布夜間中学へ変更。5ヶ年制。
- 1935年、創立40周年を記念してプール落成。
- 現在の多摩川グラウンドに農場と運動場を開設。
- 1937年、校舎増築。現在のロの字校舎の1-1がある辺が増築。現在の講堂がある場所に江原先生記念成毛講堂が落成。
- 1941年、校友会を改編して麻布中学校報国団結団。
- 1942年、清水由松は名誉校長に退き、細川潤一郎が校長に就任。
- 1944年、クラス名をアルファベットから数字へ変更。
- 1945年、校友会組織。翌年、自治委員会組織。第一回運動会開催。
- 1947年、新学制によって麻布中学校発足。翌年麻布高等学校が発足し旧制中学4、5年を切り離す。
- 麻布夜間中学も48年に麻布定時制高等学校として発足。
- 1947年5月23日から25日まで、第一回文化祭。
- 1948年、麻布民主化同盟が檄文を教室に貼り付ける事件が発生。
- 1949年1月日本共産党麻布学園細胞が結成宣言。『民主学園』を発行するなど。
- 1949年法改正に伴い麻布中学校財団法人を学校法人麻布学園に変更。
- 1950年、清水名誉校長死去。清水由松の誕生日5月16日を創立記念日とする。江原記念日を5月20日とする。
- 校友会・自治会(自治委員会)を改編して生徒協議会結成。
- 職員の反対を生協の要望が覆して文化祭開催。しかし以後3年開催されず。
- 1951年、生徒協議会と教師との折衝の後9月に文化祭開催。しかし以後2年間は開催せず。
- 1954年5月15日から16日まで文化祭。この年より毎年行われる。
- 10月8日相模湖遭難事件。生徒22名が死亡。
- 1956年、現在の100周年記念棟の場所に新館と呼ばれる校舎が建設。66年の増築に伴い生徒会館と呼ばれ93年に解体。
- 1957年、定時制廃止。
- 1961年、今年度を最後に多摩川農園を廃止。翌年現在の多摩川グラウンドとして整備。
- 体育館の改築に伴い国立競技場で運動会開催。
- 1962年、現在の柔剣道場付き体育館が落成。
- 麻布学園同窓会設立。
- 1965年、国立競技場にて創立70周年記念大運動会。
- 1966年、70周年記念新校舎落成。現在の芸術棟。
- 1967年、細川校長辞任、藤瀬五郎が新校長に就任
- 1968年、この年度の卒業式より校歌3番廃止。
- 1969年9月26日に無届の反戦集会が中庭が行われた事に対し、「学園紛争が始まったと解釈せざるを得ない」。1968年度終了までを第一次学園紛争と呼ぶ。
- 1970年、藤瀬校長辞任、山内一郎が校長代行として赴任。第一次学園紛争での藤瀬校長と生徒間の和解案を全て破棄。この後の一連の紛争を第二次学園紛争と呼ぶ。
- 理事会が山中湖畔の校地売却を承認。
- 文化祭において討論会が代行によって中止される。それに対する暴動により文化祭切り上げ。
- 成毛講堂・相模湖遭難記念館取り壊し。
- 1971年、文化祭は取り壊し工事を避ける為秋に開催。
- 1972年海野昌平が校長に就任。
- 1973年PTA発足。サークル連合発足。
- 1974年理事会の理事長と校長の分離決議に従い大賀毅が校長に就任。
- 1975年文化祭公金横領事件。広告収入を禁止。
- 6年ぶりに運動会実施。
- 1976年予算委員会設立。
- 1981年山内一郎前代行の上告が棄却。懲役5年が確定。
- 校内飲酒事件に対して調査委員会設立が全校投票によって承認。
- 山内事件に対して民事判決が下る。両者控訴せず、学園側の要求がほぼ通り確定。
- 1983年予算委員会がサークル連合解散要求宣言を全会一致で採択。サークル連合解散
- 全校投票にて広告収入に関する新規約を承認するが、実際には広告は取らず。
- 1984年新サークル連合発足。
- 1986年全校投票により年度末を持って新聞会が自治団体から一サークルへ格下げ。
- 1989年全校投票により生徒活動費値上げ案を承認。
- 1992年大賀校長退任、根岸隆尾が校長に就任。
- 1995年生徒会館を取り壊し後地に100周年記念会館が竣工。麻布学園の100年が刊行。
以上は『麻布学園の100年』による
- 2006年地下食堂が改築拡張、家庭科室が新設された。
[編集] 進路
戦後の新学制が始まってからは東京大学の合格者数上位10校に名を連ねている。 政財界に限らず、文学・芸術・芸能などの分野にも人材を輩出している。
[編集] カリキュラム
授業は中高一貫教育の利点を生かして高校1年生の段階で高校2年生までの単元をすべて消化し、その後それぞれの志望大学に向けて選択授業制となる。
高校2年の段階から理科と社会が選択制になり、理科は化学、物理、生物、地学のうち2科目、社会科は日本史、地理のうち1科目、世界史、倫理、政経のうちの1科目での合計2科目を選択する。その為理系文系混合クラスでは移動がかなり激しくなる。
高校2年の段階で通常の時間割の外部の7、8時間目にあるPascalによるプログラミングの授業である数学Cの追加授業を履修する事で、高校3年生は選択8時間+必修10時間ほどの最小の授業数にする事が出来る。
通常高校3年は芸術科目は設置されないが、芸術志望の生徒や趣味で取りたい生徒の希望により7、8時間目に芸術の科目が設置される。
また、中学3年次には文学作品(ほとんどが小説である)を論ずる「卒業論文」を3~5人のグループで執筆する。対象作品は太宰治・ドストエフスキーのような古典的なものから安部公房・村上春樹・サリンジャーのような現代的なものまである。
そして高校1年次に「修論」と称し、社会科のカリキュラムをすべて修了した、という意味で社会科に関する事柄を論じる。テーマは地理、歴史、倫理、政経全て許される。
[編集] 校風
校風は自由闊達。
特徴としては、中高一貫教育であること、男子校であること、明文化された校則がなく自主・自立の校風のもと、学園生活の大部分が生徒達の裁量に委ねられていることなどが挙げられる。そのため服装だけでなく頭髪や装飾品に関しても全て生徒自身に判断がゆだねられている。
1学年約300名で7クラス。現在、高校からの募集は行っていない。学校関係者は、中学1、2、3年生をM1、2、3(エム-)、高校1、2、3年生をH1、2、3(エイチ-)と一般に呼ぶ。
生徒や教師間での黙許的な取り決めとして、校内麻雀禁止、授業中の出前注文禁止(休み時間に取る者は居る)、鉄下駄禁止(空手バカ一代の流行時に鉄下駄で登校する生徒がおり、校舎の床が損傷したため)等が挙げられる。麻雀には特に現金をかける事に繋がりやすくそこから校内盗難が増大した事例がある為、教師も目を光らせている。カード麻雀やトランプ麻雀は厳しい教師に見つかると没収され返却されない他、他のカードゲーム(MTG、遊戯王等)でも盗難が頻発すると担任により所持禁止措置が取られる事がある。特に中学1年や中学2年で多い。尚、普通の靴に小さなローラースケートを内蔵した靴をはいて廊下を走っていた生徒も注意を受けた。
上級生に対する敬語についてはあまり厳しくなく、敬語を使うことを絶対とする部活もあれば部長の意向で敬語を使わずに話す部活もあるなど上級生と下級生との関係についてもある程度の幅がある。
[編集] 提携校
灘の生徒が東京に移動した場合これを伝統的に受け入れ、麻布の生徒が関西に移動した場合これを灘が伝統的に受け入れる。
又、中国・カナダ等の学校と特に深い付き合いにあり、交流として生徒を送り出したり受け入れたりする。韓国からも語学留学生が来る。
なお、麻布大学とは無関係である。
[編集] 年間行事
- 5月:文化祭、江原素六墓前祭
- 9月:学年行事
- 中学1年・2年:日帰り遠足。登山が多い。
- 中学3年:二泊三日修学旅行として一般的な修学旅行で訪れる数箇所に旅行する。
- 高校1年:社会見学として観劇・マスコミ見学等から変わったところでは都内ポイントハンティング等が行われる。
- 高校2年:三泊四日修学旅行として国外と国内から数箇所に分かれて旅行する。
- 高校3年:受験勉強の息抜きとして観劇や魚釣り・スポーツ等を行う。
- 10月:運動会
- 2月:入学試験、試験結果発表
[編集] 生徒活動
麻布には一般の学校で言う生徒会というものが存在せず、複数の組織が並列に存在している。よって麻布生徒が自治組織の説明を省いて対外的に「生徒会長」と言った場合は、その発言が許される人物が一人でないことに留意する必要がある。慣例的に生徒会長を名乗れるのは予算委員会・サークル連合・選挙管理委員会・文化祭実行委員会・運動会実行委員会のトップである。なお、前3つは間接選挙、後ろ2つは直接選挙で生徒に信任される。
又、運営される全ての組織は教師の監査がまったくと言っていいほど入らない。教師側は生徒協議会を作っており、その主任が最低限の監査と生徒からの相談を受け付けている。教師達は傍聴人として他の一般生徒と同じ扱いであり、発言権は無い。もちろんこれには理由があり、そのもっとも大きなものは数百頁に及ぶ各機関の規約であろう。しかし、文化祭実行委員会と運動会実行委員会には規約は存在しない。
[編集] 文化祭
毎年5月に学生・生徒主導で行われ、毎年3日間で2万人以上の入場者数を記録する。文化祭実行委員会(通称:文実)によって企画、運営される。前年度10月の運動会が終わったころに文実委員長・会計局長を選出する選挙が行われ、決定するとそのペアが各部門の部門長を選出して文実を結成する。立候補者はほぼ全員が高校1年生(新高2年生)である。予算は七~九百万円規模にのぼり、学生の手で管理される。
各部活が展示を出す他、有志団体による展示も手厚く支援され、友達同士で飲食・娯楽・研究展示を出す生徒も非常に多い。「クラス展示」はクラスの結束が相当固い場合にしか行われない。近年は主にコアな趣味の部類の研究展示等で、一教室は借り切れないが展示はしたいという人を支援する為に作られたフロンティア部門が常設になり、体育館でそれらの展示が行われる。これらは主催で分けると部活展示・有志展示に、目的で分けると飲食展示・研究展示に分ける事が出来る。
2005年の文化祭では飲食展示で食中毒を出し、教師の指示の元、急遽全ての食べ物の販売を停止。最終的に数十万円に上る赤字を計上した。又、この影響でこの年の運動会では、飲食部門はその場で調理をする食事の提供が禁止され、業者の調理パンを事前の学内の購入希望者に対し定数販売するのみで来校者への販売は無し、という方式をとらざるをえなかった。
2006年の文化祭では飲食部門の調理は復活したものの、展示団体のいわゆる飲食展示はほとんど行われなかった。また、使途不明金45万円を計上して、大いに問題となっている。
文実の各部門は以下の通り(委員長の方針により変動がある)。
- 総務局 - 全体の包括的な仕事を行う。2006年度は従来の広報、相談も兼ねている。
- 会計局 - 文化祭における予算の配分を行う。
- 運営部門 - ゴミ箱の設置、ゴミの回収分別、入場者のカウントを行う。
- 統制部門 - 警備をするほか、中庭に設置されたステージでの企画部門のイベントに一部参加する。(旧会場部門)
- 接待部門 - 飲食物の調理、販売を行う。又、飲食展示の衛生管理と統括を担当。
- フロンティア部門 - 体育館における小規模展示(フロンティア展示と呼ぶ)の受付と支援を行う。(2000年度(第52回文実)が創設)
- 美術部門 - 文化祭につかわれる巨大なパネルを製作する。正門のパネル群や中庭舞台はすべて彼らの仕事である。
- 行事部門 - 中庭、講堂でのイベントの企画、実行をする。
- 展示部門 - 教室、実験室等を用いた中~大規模展示の受付と支援を行う。
- 相談部門 - 文実と一般生徒との確執が強まった結果、溝を埋めるために作られたが事実上あまり機能していなかった。(2004年度(第56回)創設)
[編集] 運動会
文化祭に比べて校外からの来場者数は少ない。運動会実行委員会(通称:運実)によって企画、運営される。文化祭が終わると直ぐに運実委員長・会計局長を選出する選挙を行い、文実と同様の手順で運実を結成する。普通高校2年生のペアが立候補し、しばしば高校1年や高校3年生の候補も現れる。予算は200万円ほど。かつて「運動会を行わない」という公約で当選した高校3年生がいたが、再選挙で新たな候補が勝ちその年の運動会は開催されたという事例があった。又、運動会予算のうち20万円近くが文集予算として申請されている。
特色の一つとして、周辺の公道の使用許可を取り事前に希望した生徒が数キロを走る、ロードレースという競技がある。又、徒競走はない。クラス対抗の縦割りによる応援団が結成されエール交換を行うが、男子校である為か安易に下品なシモネタに走るという事も多かったため、近年ではエール交換の下品さを廃するという公約を掲げる運実委員長候補もいた。
運実の各部門は以下の通り(委員長の方針により変動がある)。文実の項に無いものを挙げる。
- 美術部門 - ステージ等の装飾、垂れ幕等を製作する。
- 企画部門 - 過去の競技の改良、新競技の発案を行う。
- 審判部門 - 企画部門の作成したルールブックにしたがって、当日の競技の審判を担当する。
また、正確には部門ではないがそれに準ずるものとして応援団がある。
- 応援団(援団) - クラスごとに組織され、競技直前に掛け声をかけて士気を上げたり、競技の作戦を決めたりエール交換でダンスをしたりしている。
今年(2006年度)の第50回運実はかなりの僅差で当選した上にリコール騒動もあり、その求心力が危ぶまれていたが、夏休み直前に運実に所属する生徒27名が居酒屋で飲酒をしたとして生徒委員会の圧力で解散させられた。その為長らく後継候補を選出することができず、今年の運動会は実施するかどうかが危ぶまれていた。
しかし、2学期に入りすぐ第51回運実選挙が行われ、飲酒していない第50回運実スタッフの生徒が委員長会計局長候補として立候補し、当選。そして発足から10日間という非常に短い準備期間にも関わらず予定通り9月30日に運動会を実施した。
[編集] 予算委員会
全校生徒から集められる1300万円にも上る生徒活動費を、管理・処理する団体。各クラスから正副の2名が選ばれる。ちなみに議長と事務局長は厳密に予算委員ではなく、4月に予算委員になり、最初の委員会で選任されて委員を辞めて新たに所属クラスは委員を出す。毎年ほぼ無風で決まる。
尚、予算委員会等では委員会内で更に三権分立のような事が行われているが、内政に値するところ事務局長がただの雑用係になっているだけであり、トップは議長である。
予算委員会の予算を監査する団体は無く、事実上予算委員の良心にまかされている。
又、部活動としてでなくても、一定の条件を満たせば誰でも予算委員会に書類を提出し、クラス決議での過半数以上賛成の認可を受けて「予算委員会特別予算妃配分団体」として、予算委員会経由で生徒活動費から予算を得て活動することができる。この制度を利用して有志文集を作るという活動が行われたり、「麻布自治を考える会」が何度かビラを配り、会合を行った。ここから自治連盟発足の流れが生まれた。
[編集] 選挙管理委員会
少なくとも年二回行われる選挙を管轄する団体。各クラスから委員1名が選ばれる。選挙方法は、登下校時に支持者が生徒を待ち構えてビラを配り、休み時間に教室を回って候補者の主張を行うというのが一般的。又、支給される選挙費用を使って学校中にポスターが貼られる。学校側が選挙のために時間を割くのは投票時だけであり、しばしば討論会が開かれるが、これも昼休みや放課後に行われる。選挙運動を収めた写真は麻布学園のHPの近状から見ることが出来る。
2003、2004年度は各団体の規約改正選挙や文集選挙等があった。
選挙管理委員会規約には、一定数の生徒の署名に応じて、あらゆる規約に対して上位決定権を持つ「全校投票」を行わなくてはいけないという項目がある。この制度を利用して、文実・運実の文集のコスト削減を求める通称「文集選挙」が行われた。これには、以下のような理由が根底にあった。
- 予算案に対し全面賛成か全面否定しかできないという欠点の為、文実運実予算内の高額な文集予算の削減を予算委員会経由では主張できない。
- サークル連合から各サークルへの予算分配率(サークルの請求に対してサークル連合が払う額の割合)が年々低下しており、文実・運実の予算を削減して各サークルに回すべき。
[編集] サークル連合
加盟する各サークルのサークル連合担当等から構成される団体。サークル活動による予算申請は全てサークル連合を通して行われる。議決権はサークル単位で存在する。 三学年以上にわたる七人以上の生徒と最低一人の顧問がおり、部員定数をそろえた活動はサークルとして認定される。顧問就任を要請する段階で教師による「活動が学内公認活動に値するか」というチェックはされるものの、それが満たされれば、予算配分などはサークル連合を主体とした生徒に任されているため、特に文化系では教師はあまり活動内容に口を出さないことが多い。
年々予算分配率(サークルからの請求額に対する支給額。足りない分が部費で賄われる)が下がっていることを問題視する生徒は少なくない。これは膨大な額の文化祭や運動会の予算が全額生徒活動費から出されている為である。この意見に反対する者は、文化祭予算の大半は展示の主流である部活展示の赤字補填に使われている事を理由に上げる。
[編集] 麻布の特殊なサークル
- テニス部・テニス同好会:テニス部とテニス同好会が存在し、テニスコート等を上手くシェアして両者が共存し活動を行っている。他にソフトテニス部も存在する。
- 麻布パーソナルコンピュータ同好会(APCC):前身のパソコン部から上級生の指導方針に反対した下級生が反発して新たに作ったサークル(現在パソコン部は無い)。 東京工業大学主催のスーパーコンピューティングコンテストによく出場し、何度か優勝経験も持つ。
- ダンス部:サークル連合の非公認サークルであったが以前から文化祭等に参加していた。近年サークル連合にも参加した。
- ゴルフ部:最近新設され、初年度から大量の予算(コースを回る費用等)を通している。
- 物理部無線班:他の班である天文班、化学班、生物班等がそれぞれ天文部、化学部、生物部として独立し、物理部には無線班しか存在しなくなったため事実上独立したという形になっているが、現在も物理部の名称を冠している。
- アーチェリー部:中学、高校でアーチェリー部がある学校は少ない。そのため、中学生は全員全国大会からの出場である。学内に広い練習場がないため、毎週末スポーツセンターに出かけて長距離を射っている。
- オセロ部:中学、高校では全国唯一と思われるオセロ専門のサークル。顧問は元オセロ世界チャンピオンの英語教師、村上健九段。しかし、競技自体マイナーな為か知名度は低い。
- 将棋部:全国屈指の強豪部で麻布学園の部活の中で最も多い実績を上げているサークルである。中学の全国大会や高校の全国大会の過去の優勝者または上位者の欄の殆どに麻布学園将棋部員の名前が書かれている。また高校将棋選手権団体では11回も優勝している(過去最高)ため、将棋部への入部の為に入学してくる生徒もしばしばいる。
- オリエンテーリング部:通称OL部。中学・高校でオリエンテーリング部が存在する学校は少なく、そのためかインターハイでも過去数度優勝している(個人・団体共に)。最近低迷していたが、徐々に昔の栄光を取り戻しつつある。
部の存続に教師の意志が関わらないので、普通学校に存在し麻布にも存在した放送部や新聞部が部員減で遭えなく消滅している。特殊な所では相撲部が立ち上げられた事もあったが、これも現在は顧問によれば「休部」となっている。近年では催眠部という活動内容不明の部に顧問が付き、予算配分枠を得ていた事もあったがこれも消滅している。
[編集] その他の生徒活動
- 自治連盟・自治連合
予算・選管・サークル連合には厳格な規約が存在するものの、文実・運実には存在しない為生まれる軋轢等(主に予算関連で締め付けが出来ないという事)から、生徒自治の全般を包括的に扱う組織として2005年度には自治連盟が発足し、この中に文実・運実を入れる事で自治連盟規約による押さえ込みなどが図られた。が、翌年には自治連盟をより本格的な自治連合に作り替えた際、スタッフがほぼ文運実系の人物で構成されて機能不全に陥りまた批判が殺到したこともあり崩壊した。
これには氷上現校長の「生徒代表が不明なため、生徒全体にとの対話の窓口が存在しないかのように見え、教師側からの意見提起がしにくい。」という意向も大きく関係している。しかし、十分には機能しておらず、各機関のセクショナリズムを打開できていない。他にも校長は、現在は自治活動において中立性を伴って意見提起をする場所が減っている(前述の新聞部等)と指摘する。
[編集] 出身者
[編集] 政治
- 神吉正一 - 蒙古連合自治政府総務庁長、満州国外務局長官・外交部政務司長 大正3年卒
- 松野頼三 - 元防衛庁長官、農林水産相 昭和9年卒
- 戸井田三郎 - 元厚生大臣 昭和13年卒
- 友部達夫 - 元参議院議員 昭和20年卒
- 福田康夫 - 元内閣官房長官 昭和30年卒
- 橋本龍太郎 - 元首相 昭和31年卒
- 平沼赳夫 - 元経産相 昭和33年卒
- 与謝野馨 - 自民党政調会長 元通産相 昭和33年卒
- 佐藤観樹 - 元自治相、国家公安委員会委員長 昭和35年卒
- 広瀬勝貞 - 経済産業事務次官、大分県知事 昭和36年卒
- 森 昭治 - 金融庁長官、財務省官僚 昭和37年卒
- 谷垣禎一 - 財務相 昭和38年卒
- 丹羽雄哉 - 元厚生相 昭和38年卒
- 橋本大二郎 - 高知県知事 昭和40年卒
- 中川雅治 - 環境事務次官、参議院議員 昭和40年卒
- 坂 篤郎 - 内閣府政策統括官、財務省官僚 昭和41年卒
- 松永和夫 - 経産省大臣官房総括審議官、原子力安全・保安院長 昭和45年卒
- 中川昭一 - 経産相 昭和47年卒
- 鈴木俊一 - 元環境相 昭和47年卒
- 遠藤宣彦 - 衆議院議員 昭和57年卒
- 水野賢一 - 衆議院議員 昭和60年卒
- 秋田一郎 - 東京都議会議員、自民党都議会自民党副幹事長 昭和60年卒
- 柿澤未途 - 東京都議会議員、民主党都連政調会長、元NHK記者 平成元年卒
- 土屋克彦 - 目黒区議会議員 平成元年卒
- 津村啓介 - 衆議院議員(民主党)平成2年卒
- 牧原秀樹 - 衆議院議員 平成2年卒
[編集] 財界
- 石田礼助 - 国鉄総裁、三井物産社長、明治36年卒
- 内田信也 - 鉄道大臣、明治海運会長、明治39年卒
- 中山素平 - 41歳で日本興業銀行理事、興銀頭取・会長(興銀中興の祖)、経済同友会代表幹事、2005年99歳で逝去 大正12年卒
- 八尋俊邦 - 三井物産社長、三井物産会長、経団連副会長 昭和7年卒
- 塚本 健 - 三井物産副社長 昭和9年卒
- 稲葉興作 - 日本商工会議所会頭、石川島播磨重工業相談役・会長 昭和16年卒
- 細川小彌太 - 三菱地所顧問 昭和18年卒
- 羽佐間重彰 - フジサンケイグループ会長、フジテレビ社長、ニッポン放送社長、産経新聞社会長 昭和20年卒
- 関沢 義 - 富士通会長、日経連副会長 昭和25年卒
- 堤 義明 - 元西武鉄道・プリンスホテル会長、西武球団オーナー 昭和28年卒
- 中原伸之 - 日本銀行政策委員会審議委員、東燃名誉会長、昭和28年卒
- 山野政光 - 銀座山野楽器会長 昭和28年卒
- 小松達也 - サイマル・インターナショナル社長 昭和28年卒
- 松本昌穂 - パイオニア代表取締役 昭和28年卒
- 三木繁光 - 東京三菱銀行会長・元頭取、三菱東京FG社長、三菱金曜会世話人代表、全国銀行協会会長、経団連副会長 昭和29年卒
- 伊庭 保 - ソニー副会長、ソニー銀行会長 昭和29年卒
- 中村 徹 - 新東京国際空港公団総裁 昭和29年卒
- 川崎晴久 - フジタ会長 昭和32年卒
- 西垣浩司 - NEC副会長 昭和32年卒
- 森 健一 - 東芝テック社長、最初の日本語ワードプロを開発 昭和32年卒
- 岡田明重 - 三井住友銀行会長、三井住友FCグループ会長 昭和32年卒
- 牧野二郎 - 牧野フライス社長 昭和33年卒
- 磯野武雄 - アルバックテクノ代表取締役社長 昭和35年卒
- 植村裕之 - 三井住友海上火災保険社長、日本損害保険協会会長 昭和35年卒
- 奥本洋三 - 興銀リース(株)取締役社長 昭和35年卒
- 堤 猶二 - ホスピタリティ・ネットワーク社長 昭和35年卒
- 原敬治郎 - 豊和工業代表取締役社長 昭和35年卒
- 荒井克一 - キリンビバレッジ社長 昭和36年卒
- 濱口道雄 - ヤマサ醤油社長 昭和37年卒
- 福井威夫 - 本田技研工業社長 昭和38年卒
- 住田良能 - サンケイ新聞社社長 昭和38年卒
- 岡谷篤一 - 岡谷鋼機社長 昭和38年卒
- 氏家純一 - 野村ホールディングス取締役会長・元社長 昭和39年卒
- 安田新太郎 - UFJ信託銀行社長 昭和40年卒
- 馬田 一 - JFEスチール社長、日本鉄鋼連盟会長 昭和44年卒
- 古川 享 - 元マイクロソフト日本法人会長、元米国マイクロソフト社バイスプレジデント 昭和48年卒
- 渡辺岳夫 - タカラ・スタンダード社長 昭和52年卒
- 石川真一郎 - GDH社長(東証マザーズ上場企業)昭和60年卒
- 山田太郎 - ネクステック社長(東証マザーズ上場企業)昭和61年卒
[編集] 法曹等
- 泉 弘之 - 泉弘之法律事務所弁護士,昭和35年卒
- 柏谷秀男 - 弁護士,昭和36年卒
- 遠藤直哉 - 弁護士,昭和39年卒
- 湯浅 卓 - 国際弁護士、コメンテーター,昭和49年卒
- 高桑昌也 - 公認会計士
[編集] 学者
- 飯田 恭 - 慶應義塾大学経済学部助教授
- 稲葉 裕 - 衛生学の権威,順天堂大学教授,昭和36年卒
- 伊理正夫 - 数学者、中央大学理工学部情報工学科教授、東京大学名誉教授,昭和26年卒
- 上野一郎 - 産業能率大学学長,昭和18年卒
- 上原貴夫 - 東京工科大学情報工学科教授,昭和35年卒
- 大野恭秀 - 熊本大学大学院自然科学研究科教授,昭和35年卒
- 大熊忠之 - 広島修道大学法学部教授,昭和35年卒
- 岡本 紘 - 元・千葉大学工学部教授,昭和35年卒
- 海部宣男 - 天文学者、国立天文台台長,昭和37年卒
- 梶 秀樹 - 慶応義塾大学総合政策学部教授,昭和35年卒
- 河東泰之 - 数学者、東京大学数理科学研究科教授
- 茅 陽一 - システム工学,東京大学名誉教授,昭和28年卒
- 木原 均 - 植物遺伝学,京都大学名誉教授,文化勲章,明治23年卒
- 栗林忠男 - 慶応義塾大学学部教授,昭和30年卒
- 栗原将人 - 慶應義塾大学理工学部数理科学科教授,昭和54年卒
- 古賀洋介 - 古細菌研究の権威,産業医科大学教授,昭和36年卒
- 小島 毅 - 中国思想文化史,東京大学大学院人文社会系研究科助教授,昭和56年卒
- 小室程夫 - 神戸大学法学部教授,昭和41年卒
- 齊藤忠夫 - 東京大学名誉教授,中央大学教授,昭和34年卒
- 坂上貴之 - 慶応義塾大学文学部教授,昭和47年卒
- 坂野潤治 - 東京大学名誉教授
- 酒巻俊雄 - 早稲田大学法学部教授,昭和25年卒
- 佐々木一也 - 立教大学文学部教授、立教大学文学部教育学科長,昭和48年卒
- 佐分利正彦 - 埼玉工業大学工学部教授,昭和35年卒
- 白井 厚 - 慶應義塾大学名誉教授,昭和23年卒
- 高宮利行 - 英文学・西洋稀覯書の権威,慶應義塾大学文学部教授,昭和37年卒
- 田中良明 - 早稲田大学理工学部教授,昭和45年卒
- 田村 毅 - 仏文学,東京大学教授,昭和37年卒
- 中条省平 - 仏文学,学習院大学教授,映画評論家,昭和48年卒
- 辻 雄 - 数学者、東京大学数理科学研究科助教授
- 寺尾光身 - 名古屋大学名誉教授
- 富田 隆 - 心理学者,昭和43年卒
- 富永 厚 - 早稲田大学教授,昭和25年卒
- 鳥谷部達 - 東洋大学工学部教授,昭和35年卒
- 中島 啓 - 数学者、京都大学理学研究科教授,昭和56年卒
- 中松義郎 - ドクター中松(工学・法学・医学・理学・人文学博士),発明家,昭和20年卒
- 長島順清 - 大阪大学名誉教授(高エネルギー物理学),昭和31年卒
- 新山浩雄 - 東京工業大学工学部教授,昭和35年卒
- 二村良彦 - 早稲田大学理工学部教授(「二村射影」の定式化),昭和35年卒
- 野元菊雄 - 国語学者、国立国語研究所所長、松蔭女子学院大学文学部教授,昭和16年卒
- 平木俊一 - 新潟大学経済学部教授,昭和35年卒
- 福山秀敏 - 物性理論研究,東京大学物性研究所所長,紫綬褒章,昭和36年卒
- 藤田一郎 - 脳科学、大阪大学教授、大脳連合野のコラム構造の発見,昭和50年卒
- 藤原帰一 - 東京大学法学部教授 国際政治,昭和50年卒
- 堀田明裕 - 千葉大学工学部デザイン工学科教授,昭和35年卒
- 松本 眞 - 数学者、広島大学教授,昭和58年卒
- 松本幸夫 - 数学者(トポロジーの研究) 東京大学数理科学研究科教授,昭和38年卒
- 水野忠夫 - 早稲田大学文学部教授,昭和31年卒
- 宮崎繁樹 - 元明治大学総長 明治大学名誉教授
- 宮台真司 - 社会学者,昭和52年卒
- 森本光生 - 数学者,国際基督教大学教授,昭和35年卒
- 山形耕一 - 茨城大学工学部都市システム工学科教授,昭和35年卒
- 山口正士 - 琉球大学理学部海洋学科教授,昭和35年卒
- 弓削 達 - 西洋史学者、フェリス女学院大学学長,昭和17年卒
[編集] 医学
- 青木一雄 - 青木医院,昭和35年卒
- 青崎 登 - 国立多摩全生園園長,昭和35年卒
- 穴沢貞夫 - 慈恵会医科大学教授・付属第3病院外科,昭和35年卒
- 市川 武 - 市川病院,昭和35年卒
- 小野倫一 - 小野産婦人科医院,昭和35年卒
- 小原 洋 - 小原小児科医院,昭和35年卒
- 大沼直躬 - 千葉大学医学部教授・付属病院小児外科科長,昭和35年卒
- 大橋克洋 - 大橋産婦人科病院,昭和35年卒
- 木下英親 - 広尾泌尿器科クリニック,元・東海大学病院,昭和35年卒
- 九鬼伸夫 - 漢方・鍼灸医 銀座診療内科院長 昭和45年卒
- 国光将人 - 国光歯科医院,昭和35年卒
- 斎藤 学 - 精神科医、家族機能研究所代表 昭和20年卒
- 佐藤達郎 - 王子生協病院外科,昭和35年卒
- 中島雅之助 - 都立北療育医療センター整形外科,昭和35年卒
- 橋本隆男 - 東京薬科大学薬学部教授・病態生理学教室,昭和35年卒
- 早川 巌 - 東京医科歯科大学歯学部教授,昭和35年卒
- 山内 潤 - 品川港南クリニック,昭和35年卒
- 山口 晃 - 山口医院,昭和35年卒
- 山本 修 - 山本メンタルクリニック,昭和35年卒
[編集] 文学
- 安部譲二 - 作家
- 大西信行 - 脚本家,昭和22年卒
- 荻原井泉水 - 俳人、芸術院賞
- 神吉拓郎 - 直木賞(第90回)作家,英文学者神吉三郎の長男,昭和20年卒
- 斎藤宗吉 - 北杜夫,芥川賞作家(『どくとるマンボウ航海記』),医師,歌人斎藤茂吉の子息,昭和20年卒
- 鈴木洋史 - 作家(『百年目の帰郷』)
- 広津和郎 - 作家 明治42年卒
- 福田善之 - 作家(『壁の中の妖精』)
- 藤田朝也 - ふじたあさや,作家,昭和27年卒
- 堀内 秀 - なだいなだ,作家,昭和21年卒
- 宮本政於 - 作家(『お役所の掟』)
- 山口 瞳 - 直木賞作家,昭和19年卒
- 山谷 馨 - 倉本聡,シナリオライター(『北の国から』),昭和28年卒
- 吉行淳之介 - 芥川賞作家,昭和17年卒
- 藤野千夜 作家、昭和55年卒
- 真野 泰 - 翻訳家「ウォーターランド」等多数、学習院大学英米文学科助教授、昭和55年卒
[編集] 芸術・芸能
- 青山二郎 - 美術評論家
- 秋山浩徳 - ギタリスト(MOON CHILD)
- 石倉 昇 - 東京大学法学部卒、囲碁プロ棋士九段、NHK「囲碁講座」講師,昭和48年卒
- 一ノ瀬響 - 作曲家
- 岡鹿之助 - 油絵画家,大正5年卒
- 小沢昭一 - 早稲田大学文学部卒、俳優,昭和22年卒
- 加藤 武 - 俳優,昭和21年卒
- 神山 繁 - 俳優
- 久米 明 - 俳優、声優,昭和16年卒
- 黒田硫黄 - 漫画家 平成元年卒
- 神津善行 - 俳優,昭和25年卒
- 堺 正俊 - フランキー堺,慶應義塾大学法学部卒、俳優,昭和21年卒
- 柴田秀勝 - 声優,昭和30年卒
- 高田尚平 - 将棋プロ棋士六段,昭和56年卒
- 武部聡志 - 音楽プロデューサー、松任谷由実のライブ音楽監督、青窈プロデュース,昭和50年卒
- 丹野賢一 - パフォーミング・アーティスト,昭和59年卒
- 土本典昭 - 映画監督
- 内藤法美 - 作曲家,昭和21年卒
- 永井智雄 - 俳優,昭和7年卒
- 仲谷昇 - 中央大学法学部中退、俳優
- ハウス加賀谷 - 漫才師(中退)
- 長谷川潔 - 版画家,明治43年卒
- 原 将人 - 映画監督
- 本田聖嗣 - ピアニスト
- 牟田悌三 - 北海道大学農学部卒、俳優,昭和20年卒
- 柳瀬大輔 - 俳優(劇団四季)
- 山下洋輔 - 国立音楽大学卒、ジャズピアニスト(麻布中へは杉並区の公立中学からの編入組),昭和35年卒
- 和田則彦 - 作曲家,昭和26年卒
[編集] マスコミ
- 青野丕緒 - 毎日グラフ編集長,昭和38年卒
- 稲垣徳吉 - NHK国際局ラジオジャパン,昭和35年卒
- 奥野健男 - 文芸評論家,昭和19年卒
- 加藤千洋 - 朝日新聞編集委員、ニュースステーション・コメンテーター 昭和41年卒
- 川本三郎 - 作家・文芸評論家 昭和38年卒
- 現王園佳正 - フジテレビドラマプロデューサー
- 斎藤光紀 - スポーツニッポン新聞社,昭和35年卒
- 斎藤十一 - 新潮社顧問、「週刊新潮」創刊、写真週刊誌FOCUS(フォーカス)発案(文壇の黒幕的存在で「新潮社の天皇」と呼ばれていた),昭和6年卒
- 宿輪純一 - エコノミスト・映画評論家,昭和57年卒
- 須田鷹雄 - 競馬ライター
- 武内 伸 - ラーメン研究家、ラーメン総合研究所所長,昭和54年卒
- 田代大輔 - 気象予報士 平成3年卒
- 中原英臣 - TVドクター 昭和38年卒
- 西村繁男 - 少年ジャンプ名物編集長,昭和31年卒
- 平野次郎 - NHK解説委員,昭和34年卒
- 松田哲夫 - 筑摩書房専務取締役、パブリッシングリンク社長,昭和41年卒
- 矢野誠一 - 演芸評論家,昭和28年卒
- 山形浩生 - 評論家、「プロジェクト杉田玄白」主宰者,昭和57年卒
- 吉田尚記 - ニッポン放送アナウンサー
[編集] 教育
- 牛尾哲朗 - 元 代々木ゼミナール講師,昭和46年卒
- 玉井 裕 - 麻布高校教員,昭和35年卒
- 田村哲夫 - 渋谷教育学園理事長,昭和29年卒
- 田村秀行 - 元 代々木ゼミナール講師(『田村の現代文講義』シリーズなど),昭和46年卒
- 馬場良夫 - 早慶学院理事長,昭和38年卒
- 氷上信廣 - 麻布学園校長,昭和38年卒
- 矢崎昭盛 - 国本学園校長,昭和35年卒
[編集] スポーツ
- 金野 滋 - 日本ラグビーフットボール協会会長,昭和16年卒
- 佐野 泉 - サッカーJリーグ 「ガンバ大阪」代表取締役社長,昭和38年卒
[編集] 宗教
- 久保継成 - 元霊友会会長、在家仏教こころの会会長,昭和30年卒
- 中島一光 - 昭和35年卒
[編集] 関連人物
- 青木義巳 - 元・本校教員(英語),元・代々木ゼミナール講師
- 小川 信 - 元・本校教員(日本史),その後,国学院大学教授.2004年逝去.
- 川崎春彦 - 元・本校教員(美術),日本画家,その後,社団法人日展理事.
- 戸田通男 - 元・本校教員(東洋史),その後,明法学院校長(昭和44~47).物故.
- 中畑善雄 - 元・本校教員(国語),その後,明法学院校長(平成2~8).2006年逝去.
- 堀木博禮 - 元・本校教員(国語),元・代々木ゼミナール講師(現代文)
- 山口昌男 - 元・本校教員(日本史),その後人類学で高名になられた.東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所所長,静岡県立大学教授,札幌大学学長などを歴任された.
[編集] 関連書籍
独自に麻布文庫と称して学校に関係する事柄や教師の著作物を書籍化している。
- 加藤史朗 - 『江原素六の生涯 』
- 斎藤嶢 - 『銅版画家 長谷川潔』
- 都司嘉宣 - 『地震・津波の話』
- 松元宏 - 『メキシコ・中米一人旅』
- 山賀進 - 『君たちの地球はどうなっているのか そして、どうなっていくのか -かけがえのない地球-』
- 麻布学園国際交流委員会編 - 『ぼくたちは冒険する・麻布生の異文化体験記』
- 原口宏 - 『まんぼう君 海に潜る』
- 金昇俊 - 『ナショナリズム イデオロギー 宗教』
- 田邊肇 - 『いきあたり ばったり -僕と「麻布の自由」の物語』