二条院讃岐
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
文学 |
ポータル |
各国の文学 記事総覧 |
出版社・文芸雑誌 文学賞 |
作家 |
詩人・小説家 その他作家 |
二条院讃岐(にじょういんのさぬき、永治元年(1141年)頃? - 建保5年(1217年)頃?)は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての女流歌人。内讃岐、中宮讃岐とも称される。父は源頼政、母は源斉頼の娘。
二条天皇に仕え、天皇が崩御した後、藤原重頼と結婚している。その頃には歌人として評判を得ており「歌仙落書」に入っている。1190年(建久元年)頃、後鳥羽上皇の中宮任子(宜秋門院)に再出仕したが、後に出家。隠棲後も後鳥羽上皇、順徳上皇の歌壇に迎えられ、「正治二年初度百首」「千五百番歌合」に歌が乗せられている。
家集に「二条院讃岐集」がある。
- 小倉百人一首
- わが袖は 潮干(しおひ)に見えぬ 沖の石の 人こそ知らぬ 乾く間もなし(「千載和歌集」恋二759}
- 「沖の石の讃岐」はこの歌によりつけられた異名である。