藤原敦頼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
文学 |
ポータル |
各国の文学 記事総覧 |
出版社・文芸雑誌 文学賞 |
作家 |
詩人・小説家 その他作家 |
藤原敦頼(ふじわらのあつより、寛治4年(1090年) - 寿永元年(1182年)頃?)は、平安時代後期の公家・歌人。父は藤原清孝。母は藤原孝範の娘。若い頃の事績は不明であるが、従五位上左馬助にいたり、1172年に出家して道因と称した。
永暦から治承(1160年-1181年)にかけて開催された主要な歌合せに参加・出詠し、また自らも「住吉社歌合」「広田社歌合」などの社頭歌合を主催している。
[編集] 百人一首
- 82番 思いわび さても命は あるものを 憂きに堪へぬは 涙なりけり 道因法師(「千載和歌集」恋三817)