航空事故
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航空事故(こうくうじこ)とは、航空機の運用中においておきた事故である。
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[編集] 概要
航空機はその性質上、ひとたび墜落などの事故を起こすと、乗客全員を巻き込んだ数百人単位の犠牲者を出す大惨事となってしまう。また航空会社にとっては、1度の事故が企業の存亡に関わるほどの重大性を持つ。このために、事故が起きるたび、その原因究明と対策に全力が注がれてきた。事故から得られた知見は、同様の事故が再発しないように以降の航空機の設計や運用に生かされている。
一方、アメリカ同時多発テロ事件の発生が発端となって、市街地の巨大建造物に激突して崩壊するような事態により、航空機が最悪の場合は数千人規模の犠牲者をだしてしまう間接的兵器になる危険性がクローズアップされるようになった。当該テロ以降、航空会社や各国の公安当局はハイジャック防止対策に一層力を入れるようになり、機内への危険物持込に対して非常に神経質になっている。
航空事故のリスクの多寡は航空会社によって異なり、先進国では低く、発展途上国では高い傾向が見られる[1]。
[編集] 事故の原因
以下の要因がいくつか複合して事故に至る。
[編集] 直接的な要因
単独で事故の原因となりうるもの。
- 悪天候などの外的要因
- 機体の構造的欠陥・製造ミス・整備不良・老朽化
- 判断ミス・操作ミス
- ルール違反・手順の無視
- 飲酒等の重大な過失
[編集] 間接的な要因
単独では事故の原因にならないが、ほかの要因と複合して事故の原因となるもの。あるいは別の要因を招く遠因となるもの。
- ヒューマンエラーを招きやすい設計・デザイン
- 離発着施設の不備・不適切な空港の立地
- クルー間の厳格な上下関係
- 不適切な労務管理
[編集] 事故調査
再発防止のためには徹底した事故調査は欠かせない。日本では1966年の全日空羽田沖墜落事故の際に経路追跡などが出来ず原因不明となった事を教訓に、全ての旅客機にFDR(フライトデータレコーダー : 飛行状況記録機)・CVR(コックピットボイスレコーダー : 操縦室音声記録機)搭載が義務化された。
多くの国には専門の事故調査機関が設置されていて、日本では国土交通省の航空・鉄道事故調査委員会、アメリカ合衆国では国家運輸安全委員会 (NTSB) が担当している。また、日本では業務上過失致死罪・業務上過失傷害罪又は重過失致死傷罪の容疑で警察・検察による刑事捜査が行われる上、操縦士が死亡した場合、遺体は捜査機関の職権で司法解剖されるのが通例となっている。
しかし、航空事故は重大な過失でもない限り刑事責任を問わないことが世界的な趨勢となっており、また、日本の航空事故では事故調査機関の調査資料が捜査資料として使われることがあり、国際民間航空条約に違反しているため刑事捜査には航空関係者の反発が根強い。
[編集] 主な民間機航空事故
重大な過失による事故や、正規軍の軍用機や軍用艦船による民間機の撃墜や、人為的な航空機爆破、ハイジャッカーによる地上施設への体当たりなどは、厳密には、事故ではなく航空機の事件およびテロとして扱うべきであるが、被害規模の参考のために記載した。
[編集] 1920年代
[編集] 1930年代
- 1930年1月19日:トランスコンチネンタル・エア・トランスポート航空(後のトランス・ワールド航空)7便(フォード5AT-Cトライモーター)、エンジントラブルでカリフォルニア州オーシャンサイド近郊に墜落。14人死亡。
- 1937年5月6日:硬式飛行船LZ129 ヒンデンブルク号、着陸時に静電気による放電で船体外皮が発火、爆発・炎上。乗員・乗客97人中35人と地上の作業員1人が死亡(ヒンデンブルク号爆発事故)。この事故は飛行船の安全性への信用を失墜させ、飛行船が航空輸送の担い手としての役割を終える契機となった。
- 1937年11月16日:サベナ航空ユンカースJu-52、ベルギーで墜落。ヘッセン大公ゲオルグ夫妻を含む11人が死亡。
- 1938年8月24日:日本飛行学校のアンリオ複葉機と日本航空輸送のスーパーユニバーサル機が空中衝突。墜落後に燃料タンクが爆発し搭乗員5人と地上の住民45人が死亡(大森民間機空中衝突墜落事故)。
[編集] 1940年代
- 1942年10月23日:アメリカン航空28便(ダグラスDC-3)、アメリカ陸軍航空隊のロッキードB-34ベンチュラ爆撃機と空中接触し、カリフォルニア州チノキャニオン付近に墜落。12人死亡。
- 1946年1月31日:ユナイテッド航空14便(ダグラスDC-3)、ワイオミング州エルクマウンテンに墜落。
- 1947年1月26日:KLMオランダ航空(ダグラスC-47)、コペンハーゲンを離陸後墜落。乗員乗客22名全員死亡。スウェーデン王子のグスタフ・アドルフも巻き込まれた。
- 1949年5月4日:アリタリア航空(フィアットG212)、イタリア・トリノ郊外のスペルガ教会に激突、炎上。ACトリノの選手・監督・チームスタッフらを含む、乗員乗客合わせて31名全員が死亡。(スペルガの悲劇)
- 1949年10月27日:エールフランス(ロッキード・コンステレーションL-749)、アゾレス諸島で着陸に失敗し墜落。乗員乗客48名全員死亡。ボクサーのマルセル・セルダンやヴァイオリニストのジネット・ヌヴーも死去。
[編集] 1950年代
- 1950年8月31日:トランス・ワールド航空903便(ロッキード・コンステレーションL-749)、エジプト・カイロ空港を離陸後エンジントラブルを起こし砂漠上に墜落。55人死亡。
- 1952年4月9日:日本航空の『もく星』号(マーチン202)、伊豆大島の三原山付近に墜落。搭乗員37人全員死亡。(もく星号墜落事故)
- 1952年4月29日:パンアメリカン航空202便(ボーイング377ストラトクルーザー)、プロペラの設計ミスでブラジル北部を飛行中に空中分解し墜落。50人死亡。
- 1953年9月1日:エールフランス(ロッキード・コンステレーションL-749)、アルプス山脈に激突。バイオリニストのジャック・ティボーを含む乗員乗客42名全員死亡。
- 1953年10月29日:イギリス連邦太平洋航空306便(ダグラスDC-6)、サンフランシスコ国際空港進入直前に墜落。乗員乗客11名全員死亡。ピアニストのウィリアム・カペルも巻き込まれる。
- 1954年1月10日:英国海外航空(BOAC)781便 (デハビランドDH106 コメット1)が、イタリアのエルバ島上空で、機体の与圧部分の構造欠陥が理由で空中分解し墜落。
- 1954年4月8日:英国海外航空(南アフリカ航空201便として運行中)デハビランドDH106 コメット1が、ローマのチァンピーノ空港を離陸後、ティレニア海上空で機体の構造欠陥が理由で空中分解し墜落。21人死亡。同一機による半年で2度目の事故のため、これ以降全てのDH106コメット1が運行停止となり、事故原因の徹底的な調査がイギリス政府の指導の下行われた。
- 1954年7月22日:キャセイパシフィック航空(ダグラスDC-4)、公海上で中華人民共和国空軍のLa-9型戦闘機に撃墜される。10人死亡。(厳密に言うと事件であり、航空事故ではない、詳細はキャセイパシフィック航空機撃墜事件を参照のこと )
- 1955年7月27日:エル・アル・イスラエル航空(ロッキード・コンステレーションL-1049)、航法ミスでブルガリアを領空侵犯し、同国空軍機の攻撃を受け空中分解し墜落。58人死亡。(厳密に言うと事件であり、航空事故ではない、詳細はエル・アル航空機撃墜事件を参照のこと )
- 1956年6月30日:トランス・ワールド航空2便(ロッキード・コンステレーション)とユナイテッド航空718便(ダグラスDC-7C)、アリゾナ州上空で空中衝突し、両機とも墜落。
- 1957年9月30日:日本航空(ダグラスDC-4)が大阪の伊丹空港を離陸直後にエンジンが故障し失速。機体が電線に引っかかり、そのまま空港南東約1キロの田んぼに不時着した。機体は垂直尾翼だけを残し全焼した。
- 1958年2月6日:英国欧州航空609便(エアスピードAS-57アンバサダー)、ドイツ・ミュンヘン空港を離陸滑走中にオーバーラン。23人死亡。この事故でサッカーの名門チーム、マンチェスター・ユナイテッドの選手8人が死亡し、イギリス中に衝撃を与えた。(ミュンヘンの悲劇)
- 1958年8月12日:全日空(ダグラスDC-3)、エンジン故障により静岡県下田沖に墜落。30人死亡。(全日空下田沖墜落事故)
[編集] 1960年代
- 1960年3月16日:全日空(ダグラスDC-3)、小牧空港へ着陸直後航空自衛隊のF-86戦闘機と衝突、大破。3人死亡。(全日空小牧空港衝突事故)
- 1960年3月17日:ノースウエスト航空710便(ロッキード L-188Cエレクトラ)、インディアナ州上空でプロペラ取り付け部分の設計ミスが原因で空中分解し墜落。
- 1960年12月16日:ユナイテッド航空826便(ダグラスDC-8-11)とトランスワールド航空266便(ロッキード-1049スーパーコンステレーション)がニューヨーク州郊外のミラー空軍基地上で空中衝突し両機とも墜落。134人死亡。
- 1961年2月15日:サベナ航空548便がブリュッセルで墜落。アメリカフィギュアスケート代表チーム全員を含む乗員乗客73名全員死亡。
- 1962年6月3日:エールフランス航空(ボーイング707-320)、パリのオルリー国際空港の離陸に失敗し滑走路をオーバーラン。130人死亡。
- 1963年5月1日:日東航空(デハビランド・カナディアDHC3オッター)、大阪発徳島行きが兵庫県諭鶴羽山に墜落。運航乗務員・乗客9人死亡。(日東航空つばめ号墜落事故)
- 1963年5月10日:全日空(ダグラスDC-3)、千歳発羽田行きが経由地の仙台空港で着陸に失敗。7人重軽傷。(全日空機仙台空港着陸失敗事故)
- 1963年8月17日:藤田航空(デハビランド・ヘロン1B)、八丈島発羽田行きが八丈島の八丈富士に墜落。(藤田航空機八丈富士墜落事故)
- 1963年9月4日:スイス航空306便(シュド・カラベル)、スイス・チューリヒ国際空港の離陸後に炎上して、墜落。(スイス航空306便墜落事故)
- 1963年12月8日:パンアメリカン航空(ボーイング707-121)、落雷による墜落事故。(パンアメリカン航空214便墜落事故)
- 1964年2月27日:富士航空902便(コンベア240)、大分空港への着陸に失敗。空港東側の河原に墜落、炎上。乗員乗客合わせて20名が焼死、22名が救出された。(富士航空機墜落事故)
- 1965年2月14日:全日空の貨物機(ダグラスDC-3)、巡航中に失踪。1966年12月29日に南アルプス山中にて墜落した機体の残骸が発見された。(全日空貨物機失踪事件)
- 1965年2月27日:日本航空(コンベア880-22M)、長崎県壱岐空港で訓練中に操縦ミスで墜落。(日本航空壱岐空港墜落事故)
- 1966年1月22日:インド航空101便(ボーイング707)、ジュネーブに着陸進入中モンブラン山頂付近に墜落。位置を誤ったパイロットミスされる。乗客乗員117人全員死亡。
- 1966年2月4日:千歳発羽田行き全日空60便(ボーイング727)、羽田空港に着陸進入中東京湾に墜落。操縦ミスとも言われるが原因は不明。乗客乗員133人全員死亡または行方不明。(単独機として当時世界最悪の事故) 教訓としてブラックボックス搭載が全ての旅客機に義務付けられる。(全日空羽田沖墜落事故)
- 1966年3月4日:カナダ太平洋航空402便(ダグラスDC-8)、濃霧の中羽田空港に着陸進入中操縦ミスにより進入灯に激突。64人死亡。(カナダ太平洋航空402便着陸失敗事故)
- 1966年3月5日:英国海外航空(BOAC)911便(ボーイング707-420)、富士山上空で乱気流に揉まれ空中分解・墜落。(英国海外航空機空中分解事故)
- 1966年8月26日:日本航空(日本国内航空からのリース機)(コンベア880-22M)、羽田空港で訓練中に墜落炎上。(日本航空羽田空港墜落事故)
- 1966年11月13日:全日空(ANA)533便(YS-11)、着陸に失敗、松山空港沖の伊予灘に墜落、乗員乗客50人全員死亡。(全日空松山沖墜落事故)
- 1967年10月12日:英国欧州航空(BEA)284便(コメット4B)、ギリシアのアテネからキプロスのニコシアへ飛行中に爆破され、ロードス島沖の地中海に墜落、乗員乗客66人全員死亡。犯人を特定できなかった。
- 1968年11月22日:日本航空002便(ダグラスDC-8-62「SHIGA」)、サンフランシスコ国際空港への着陸時に空港手前の海上に着水した。操縦士が新型計器の取り扱いに習熟していないことが原因。乗客・乗員107名は全員無事。
- 1969年2月8日:航空自衛隊小松基地所属のF-104J戦闘機が落雷の直撃を受け石川県金沢市の市街地に墜落。住民の死者4名、負傷者18名。パイロットは脱出。
- 1969年6月24日:日本航空(コンベア880-22M)、アメリカのモーゼスレイクで訓練中に滑走路をオーバーランし墜落炎上。(日本航空モーゼスレイク墜落事故)
- 1969年9月20日:エア・べトナムのダグラスDC-4とアメリカ空軍のF-4EファントムIIが南ベトナムのダナン空港上空で空中衝突し、エア・べトナム機が墜落。77人死亡。
[編集] 1970年代
- 1970年7月27日:フライング・タイガーライン(現・フェデックス)45便(ダグラスDC-8-63AF貨物機)、特殊な気象現象が原因で墜落。乗員4名が死亡。(アメリカ貨物機那覇沖墜落事故)
- 1971年7月3日:東亜国内航空63便(YS-11)、北海道七飯町横津岳で墜落、68人が死亡するYS-11最悪の事故(ばんだい号墜落事故)。
- 1971年7月30日:全日空(ANA)58便(ボーイング727)、岩手県雫石町上空で航空自衛隊松島基地(宮城県)所属のF-86F戦闘機と衝突し墜落(全日空機雫石衝突事故)。その後の刑事裁判では、双方に見張り不足があったが、自衛隊機側の責任がより重かったと判断された。
- 1972年6月14日:日本航空 471便(ダグラスDC-8)、ニューデリー・パラム空港への着陸進入中に空港手前に墜落。(日本航空ニューデリー墜落事故)
- 1972年10月13日:TAMU航空機(フェアチャイルドFH-227D)、チリ・サンフェルナンド近郊のアンデス山中に墜落。29人が死亡。映画『生きてこそ』(原題「Alive!」1993年)の原案。
- 1972年11月28日:日本航空446便(ダグラスDC-8)、モスクワ・シェレメーチエヴォ国際空港を離陸直後にスポイラーを誤作動させ失速し墜落。(日本航空シェレメーチエヴォ墜落事故)
- 1972年12月29日:イースタン航空 401便(ロッキードL-1011 トライスター)、マイアミ国際空港に着陸直前に墜落。
- 1973年2月21日:リビアン・アラブ航空 114便 (ボーイング727)、航路を逸脱しイスラエル領空を侵犯。シナイ半島上空でイスラエル空軍機の攻撃を受け墜落。(厳密に言うと事件であり、航空事故ではない。詳細はリビア航空機撃墜事件を参照のこと)
- 1973年6月4日:アエロフロート・ロシア航空(ツポレフTu-144)、フランスのパリ航空ショーでデモフライト中に失速しパリ郊外のル・ブルジェ空港近くに墜落。地元住人を含む7人が死亡。
- 1974年3月3日:トルコ航空 981便(マクダネル・ダグラスDC-10-10)、パリのオルリー空港を離陸後、貨物室ドアの設計上のミスにより貨物室ドアが破損し墜落。346名死亡。(トルコ航空DC-10パリ墜落事故)
- 1975年12月16日:日本航空 422便(ボーイング747)、アンカレジ国際空港の誘導路を滑走中に横滑りをおこし、誘導路側方に滑落して中破した。3人軽傷。
- 1976年10月6日:キューバ航空455便(ダグラスDC-8-43)、離陸直後に機内で爆発、パイロットの意識喪失により墜落。乗客乗員73人全員死亡。(反フィデル・カストロ主義者による爆弾テロ。厳密に言うと航空事故ではない。関連:ルイス・ポサダ・カリレス)
- 1977年1月13日:日本航空1054便(DC-8-62AF貨物機)、アンカレッジ国際空港を離陸直後に墜落。5人死亡。後に機長が飲酒していたこと明らかになり問題となった。(アンカレッジ墜落事故)
- 1977年3月27日:KLMオランダ航空 4805便(ボーイング747)とパンアメリカン航空 1736便(ボーイング747)がスペイン領カナリア諸島のテネリフェ島ロスロデオス空港で離陸滑走中に衝突。583名死亡。(航空史上最大の航空事故、テネリフェの悲劇)
- 1977年9月27日:日本航空 715便(DC-8)、クアラルンプール空港に着陸進入中墜落。(クアラルンプール墜落事故)
- 1978年1月1日:インド航空ボーイング747-200がサンタクルズ国際空港から離陸直後に墜落。213人死亡。(インド航空855便墜落事故)
- 1978年4月21日:大韓航空902便(ボーイング707)、ソ連の領空を侵犯し、ムルマンスク上空でソ連の戦闘機スホーイSu-15に撃墜され凍結湖に不時着。2人死亡。(厳密に言うと事件であり、航空事故ではない)
- 1979年1月30日:ヴァリグ・ブラジル航空967便、ボーイング707F貨物機が成田空港を離陸後、太平洋上で行方不明になる。6人の乗員が死亡。(積荷に日系ブラジル人抽象画家の作品53点があったため、関係者が衝撃を受ける。詳細はヴァリグ・ブラジル航空機遭難事故を参照)
- 1979年5月25日:アメリカン航空191便(マクダネル・ダグラスDC-10-10)、シカゴ・オヘア国際空港を離陸直後に、パイロン(エンジン取付部)の不適切な整備により第1エンジンが脱落し、墜落した。273名死亡。
- 1979年11月28日:南極観光飛行のニュージーランド航空901便(マクダネル・ダグラスDC-10-30)、誤ったフライトプランに基づいて飛行し、南極のエレバス山山腹に激突。犠牲者の中には登山家の今井通子の両親も含まれていた。(南極における初の民間機事故)
[編集] 1980年代
- 1980年11月19日:大韓航空ボーイング747旅客機がソウル金浦国際空港へ着陸進入中に墜落。15人死亡。
- 1981年8月22日:遠東航空103便(ボーイング737)、離陸後、三義(サンイー)(台北の南南西約150Km)上空で空中分解し山中に墜落。110人死亡。作家の向田邦子が巻き込まれた。(遠東航空103便墜落事故)
- 1982年1月13日:エア・フロリダ、ボーイング737-200がワシントンD・Cで離陸直後に着雪・着氷のため墜落。5名生存、78名死亡。(エア・フロリダ90便墜落事故)
- 1982年2月9日:日本航空(JAL)350便(マクダネル・ダグラスDC-8)、精神疾患がある機長の異常操縦で羽田空港の手前に墜落。(羽田沖墜落事故)
- 1982年7月9日:パンアメリカン航空759便(ボーイング727)、ニューオーリンズ国際空港を離陸直後に墜落。153人死亡。
- 1982年8月26日:南西航空(現:日本トランスオーシャン航空)611便(ボーイング737-200)、石垣空港に着陸進入中オーバーランし滑走路終端付近の雑木林に衝突。その後爆発炎上した。この事故で乗員・乗客3名が負傷。 原因は着陸進入中、機長が適切な制動操作を行わなかったため。
- 1983年3月11日:日本近距離航空(現:エアーニッポン)497便(日本航空機製造YS-11)、根室中標津空港に着陸進入中、滑走路手前の雑木林内の樹木に接触し、墜落。 乗員・乗客52名が負傷。 原因は、機長が吹雪のため滑走路の視認に気をとられ、適切な進入角度を取らないまま着陸を行ったため。
- 1983年9月1日:大韓航空007便(ボーイング747)、アンカレジを離陸後航路を逸脱しソ連領空を侵犯。樺太上空でソ連空軍の戦闘機スホーイSu-15に撃墜される(大韓航空機撃墜事件。厳密に言うと航空事故ではない)。269人死亡。
- 1985年2月18日:中華航空006便(ボーイング747)、台北よりロサンゼルスへ向かう途中、第4エンジンが異常により停止。本来なら自動制御を解除させ、方向舵を使用し機体のバランスを図るもののそうせず、やがて失速速度まで減速、サンフランシスコの沖合できりもみ状態で垂直落下。約2分間1万メートル近く垂直落下したところで通常制御により機体のバランスを取り戻すことに成功、機体は大きく損傷したものの、無事サンフランシスコへ緊急着陸した。
- 1985年8月12日:日本航空(JAL)123便(ボーイング747)、しりもち事故の際の修理ミスにより飛行中に垂直尾翼が大破、操縦不能になり、群馬県多野郡上野村の御巣鷹の尾根(高天原山)に墜落。乗客509人中505人、乗員15人全員の520人が死亡。(日本航空123便墜落事故)。
- 1986年8月31日:アエロメヒコ航空498便(マクダネル・ダグラスDC-9)、ロサンゼルス国際空港へ着陸進入中に空路へ侵入してきた自家用機(パイパーPA-28)と衝突。82人死亡。
- 1987年11月28日:南アフリカ航空295便(ボーイング747-200B)、台北よりヨハネスブルグへ向かう途中、貨物室から火災が発生し電気系統、操縦系統を損傷、操縦不能になり、モーリシャスの沖合に墜落。乗客140人、乗員19人の計159人全員が死亡(南アフリカ航空295便墜落事故)。
- 1988年1月10日東亜国内航空(現:日本航空ジャパン)670便(日本航空機製造YS-11)、美保飛行場(米子空港)を離陸滑走中、凍結により昇降舵が適切に働かなくなり、そのまま離陸中止を試みるもオーバーランし滑走路端の中海に突入。乗客8名が負傷。同機の損傷は中破であり、修理可能な状態であったが、諸事情により現地解体され、コックピット部分は、当時、同社の親会社であった東京急行電鉄が運営する電車とバスの博物館内のフライトシミュレーターとして現在も利用されている。
- 1988年6月26日:エールフランス航空(エアバスA320)、フランスのアブシーム空港でデモンストレーション飛行中に空港脇の森に墜落し炎上。3人死亡。
- 1988年4月28日:アロハ航空(ボーイング737)、ハワイ島ヒロからオアフ島ホノルルへ向かう途中、マウイ島上空7200mのところでコックピット後部の客席部分の天井が吹き飛び、客室乗務員一人が機外に吸い出され死亡。幸い制御系が破壊されなかったこともあり、墜落を免れ、マウイ島の空港に緊急着陸。1990年にはアメリカのCBSテレビがこの事故を元にした『奇跡の243便(Miracle Landing)』というテレビ映画を製作している。
- 1988年7月3日:イラン航空(エアバスA300)がペルシア湾上空でアメリカ海軍のミサイル巡洋艦ヴィンセンス(USS Vincennes, CG-49)から誤射され墜落。(厳密に言うと事件であり、航空事故ではない)
- 1988年12月21日:パンアメリカン航空103便(ボーイング747)、イギリス・スコットランド上空でリビアのテロリストによって仕掛けられた爆弾が爆発し墜落。(厳密に言うとテロであり、航空事故ではない) (パンナム機爆破事件)
- 1989年7月19日:ユナイテッド航空232便(DC-10)、飛行中第2エンジンの爆発により油圧系統を喪失。偶然乗り合わせていたDC-10教官の助けを得、残った左右のエンジン(第1・第3エンジン)による出力の操作のみでアイオワ州、スーゲートウェイ空港に緊急着陸。補助者が日本航空123便墜落事故を教訓とし、シミュレータで油圧系統を喪失した場合を想定して訓練していたことも幸いした。1992年にアメリカでこの事故を元にした『Crash Landing: The Rescue of Flight 232(邦題:レスキューズ/緊急着陸UA232)』というテレビ映画が製作された。またナショナルジオグラフィックチャンネルでもこの事故が紹介された。(ユナイテッド航空232便不時着事故)
- 1989年7月27日:大韓航空803便(マクダネル・ダグラスDC-10-30)、リビア・トリポリ空港への着陸進入中に操縦ミスが原因で空港手前の住宅街に墜落。80人死亡。
[編集] 1990年代
- 1991年5月26日:ラウダ航空004便(ボーイング767-300ER)、バンコク・ドンムアン国際空港を離陸後、エンジン制御システムの誤作動によりエンジンが逆噴射し空中分解して墜落。233人死亡。
- 1992年10月4日:エル・アル航空のジャンボ貨物機(ボーイング747)、オランダ、アムステルダム スキポール空港を離陸6分後に右エンジン2個が脱落。制御を失い高層アパートに激突し75人死亡(エル・アル航空1862便墜落事故)。
- 1993年7月26日:アシアナ航空733便(ボーイング737)、木浦空港への着陸進入中に墜落。68人死亡。
- 1993年11月4日:中華航空(ボーイング747-400)、香港の啓徳空港に着陸進入中オーバーランし、滑走路先の海中に突入。1名死亡。同機は完成して1年も満たなかった新品であり、またボーイング747-400が全損する事故としては初のケースであった。当該機は垂直尾翼が爆破された後引き上げられ解体された。
- 1994年3月22日:アエロフロートロシア航空593便(エアバスA310-308)、パイロットが操縦資格の無い息子に操縦させたことが原因で墜落。乗員12名、乗客63名の全員が死亡。(アエロフロート航空593便墜落事故)
- 1994年4月26日:中華航空140便(エアバスA300-600R)、名古屋空港着陸時に操縦士と自動操縦装置の操縦競合により失速、墜落。264人死亡。(中華航空140便墜落事故)
- 1994年10月31日:アメリカン・イーグル4184便、インディアナ州ローズローズンで墜落。乗員4名、乗客64名全員死亡。
- 1994年12月2日:日本エアシステム451便(マクダネル・ダグラスDC-9-41)、花巻空港に着陸進入中に激しいウインドシアに巻き込まれ、機体が急激に降下したため、ハードランディングし機体が大破、その後炎上した。 この事故により、乗員・乗客3名が負傷。
- 1995年12月20日:アメリカン航空965便(ボーイング757)、操縦ミスでコロンビアのエル・デルビオ山に激突。159人死亡。
- 1996年5月11日:バリュージェット航空592便(マクダネル・ダグラスDC-9-32)、フロリダ州・マイアミ国際空港を離陸した直後、無許可で積まれた酸素ボンベ(酸素発生装置)144本が貨物室で発火し、機体が炎上。マイアミ空港近くの湿地帯エバーグレーズに墜落し、乗員5名、乗客105名全員が死亡。(バリュージェット航空592便墜落事故}
- 1996年6月13日:ガルーダ・インドネシア航空865便(マクダネル・ダグラスDC-10)、福岡空港においてエンジントラブルにより離陸に失敗しオーバーラン、炎上。3人死亡。(福岡空港ガルーダ航空機離陸事故)
- 1996年7月17日:トランス・ワールド航空800便(ボーイング747)、機体の設計上のミスにより燃料タンクが発火、空中爆発しニューヨーク州ロングアイランド沖に墜落(トランスワールド航空800便墜落事故)。
- 1996年10月2日:アエロペルー603便(ボーイング757)、リマ国際空港を離陸後30分後に太平洋上に墜落。
- 1996年10月31日:TAM航空(フォッカーF-100)、サンパウロ市のコンゴニャス空港を離陸直後、エンジンに異常がおきたため墜落。後の調査で、乗客が使用した携帯電話が理由でエンジンが異常を起こしたと推測された。
- 1996年11月23日:エチオピア航空961便(ボーイング767-200ER)、アジスアベバを離陸後ハイジャックされる。燃料切れの為インド洋のコモロのリゾート地に墜落。125人死亡(エチオピア航空961便ハイジャック墜落事件)。
- 1997年8月6日:大韓航空801便(ボーイング747-300)、グアム国際空港へ進入中にCFIT(Controlled Flight Into Terrain)が原因で墜落。228人死亡。
- 1997年12月19日:シルク航空185便(ボーイング737)、スマトラ島南部に墜落。104人死亡。
- 1998年2月16日:中華航空676便(エアバスA300)、台北中正国際空港(現台湾桃園国際空港)の近くの住宅街に墜落、近隣住民を含む203人死亡。(中華航空676便墜落事故)
- 1998年9月2日:スイス航空111便(マクダネル・ダグラスMD-11)、電気配線のアークによる機体火災で緊急着陸の途中で北大西洋上に墜落、229名が死亡。(スイス航空111便墜落事故)
- 1999年2月24日:中国西南航空4509便(ツポレフTu-154型機)、浙江省瑞安で着陸進入中に墜落。61人死亡。
- 1999年4月15日:大韓航空6316便(MD-11)貨物機が上海虹橋空港を離陸直後に墜落。乗員3人と周辺住民4人が死亡。
- 1999年10月31日:エジプト航空990便(ボーイング767-300)、ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港を離陸後、交代員副操縦士の異常操縦により大西洋上に墜落。(1991年にタイで発生したラウダ航空の同型機の事故と同じく、エンジン制御システムの誤作動による逆噴射が原因との指摘もある)詳細はエジプト航空990便墜落事故を参照。
- 1999年12月22日:大韓航空、ボーイング747貨物機がロンドン北郊スタンステッド空港を離陸直後に墜落。乗員4人死亡。
[編集] 2000年代
- 2000年1月31日:アラスカ航空261便(マクダネル・ダグラスMD-83型機)、メキシコのプエルト・バジャルタからシアトルへ向かい飛行中、機体の設計上の問題により操縦不能となりカリフォルニア州ベンチュラ沖の太平洋上に墜落。83人死亡。
- 2000年6月22日、中華人民共和国武漢航空343便(Y-7型機)、武漢郊外で墜落。46人死亡。
- 2000年7月25日:エールフランス航空4590便(コンコルド)、パリのシャルル・ド・ゴール国際空港を離陸時に他の飛行機が落とした部品を撥ね燃料タンクを破損、漏れた燃料が引火し墜落。113人死亡。詳細はコンコルド墜落事故を参照。
- 2000年10月31日:シンガポール航空006便(ボーイング747-400)、台北中正国際空港(現台湾桃園国際空港)で離陸に失敗し墜落炎上。83人死亡。(シンガポール航空006便墜落事故)
- 2001年8月23日:エア・トランサット236便トロント発リスボン行き (A330型機) は大西洋上で燃料切れにより2基のエンジンがストップ、滑空状態でアゾレス諸島の空港に緊急着陸する (緊急着陸成功)。原因は第2エンジン交換時に純正以外の燃料パイプブランケットを使用したため、燃料パイプが外れ燃料漏れを起こしてしまった。
- 2001年9月11日:アメリカ同時多発テロ事件発生。ニューヨーク世界貿易センタービル、ワシントンの国防総省ビルなどにハイジャック機4機が次々と激突、3,000人以上死亡、テロ事件史上最悪の惨事となる。特に最初に世界貿易センタービル北棟に激突した、ボストン発ロサンゼルス行きアメリカン航空11便は死者約1,700人とテロ事件として最大の犠牲者をだす。ユナイテッド航空175便では約800人の犠牲者をだした。(厳密にいうとテロであり、航空事故ではない)
- なお、航空機別の乗員・乗客は次のとおり
航空機 | 乗員・乗客計 |
アメリカン航空11便 | 92人 |
ユナイテッド航空175便 | 65人 |
アメリカン航空77便 | 64人 |
ユナイテッド航空93便 | 45人 |
- 2001年11月12日 : アメリカン航空587便(エアバスA300)サントドミンゴ行き、ジョン・F・ケネディ国際空港離陸後まもなく墜落。前便である日本航空47便(ボーイング747)成田行きの後方乱気流に巻き込まれたこと、尾翼の構造・素材等の欠陥、機械トラブルや操作ミスなどが重なった複合的原因と言われている。乗客251人と乗員9人の全員と地上の住民5人が死亡。
- 2002年4月15日:中国国際航空129便(ボーイング767)、釜山金海国際空港への着陸進入中に墜落。128人死亡。(中国国際航空129便墜落事故)
- 2002年5月7日:中国北方航空6136便(MD-82)、大連周水子国際空港近くの海上で乗客の放火による火災で墜落。112人死亡。(中国北方航空6136便放火墜落事件)
- 2002年5月25日:中華航空611便(ボーイング747型機)、東シナ海上空で経年変化による金属疲労により空中分解し墜落。225人死亡。(中華航空機空中分解事故)
- 2002年6月26日:全日空(ボーイング767-200)、沖縄県下地島空港で訓練中に、滑走路をオーバーランして滑走路東側の草地に止ったものの機体が大破・全損した。乗員1名が負傷した。
- 2002年7月1日:バシキール航空2937便(ツポレフTu-154M型機)とDHL611便(ボーイング757-200貨物機)が、ドイツのユーバリンゲン上空でスイス管制官の管制ミスにより空中衝突し墜落。71人死亡。
- 2003年3月6日:アルジェリア航空6289便、同国タマンラセット空港を離陸直後にエンジントラブルで墜落。102人死亡。
- 2004年1月1日:日本エアシステム979便(マクドネル・ダグラスMD-81型機、なお同便はハーレクインエアによる受託運行であった。)、徳之島空港へ着陸時に左主脚を折損し左主翼を滑走路上に大きく接触し、かく座した。 この事故により乗客2名が負傷。 原因は左主脚に金属疲労による亀裂が生じ、着陸時の衝撃により折損したため。
- 2004年11月21日:中国東方航空5210便(ボンバルディアCRJ-200型機)、内モンゴル自治区包頭空港を離陸直後に墜落。54人死亡。
- 2005年8月2日:カナダトロントのピアソン国際空港で、エールフランス358便が着陸に失敗し、くぼ地に激突炎上。数十名が軽傷を負うが、奇跡的に死者はゼロで済んだ。A340就航以来初の全損事故である。(エールフランス358便事故)
- 2005年8月6日:チュニジアの航空会社チュニインターのATR 72が、イタリアのシチリア島付近で、燃料計のトラブルにより燃料切れを起こし海上に墜落。16名が死亡。
- 2005年8月12日:JALウェイズが運航する福岡空港発ホノルル国際空港行きのDC-10が離陸直後にエンジンから発火し、部品が福岡市内に落下。この日は1985年の日本航空123便墜落事故からちょうど20年にあたり、午前中の慰霊祭で日本航空の新町敏行社長が2度と事故を起さない旨の挨拶をした直後だった。
- 2005年8月14日:ギリシャ北部の山中にヘリオス航空のボーイング737型機が墜落。121人死亡。事前に機内の与圧装置に故障があったと報告されていたことや、異変を受けて飛び立ったギリシア空軍の戦闘機が操縦士が2人とも座席に座ったまま倒れていることを目撃していることから、与圧装置の故障による急激な減圧により操縦士が瞬間的に意識を失ったため操縦不能に陥って墜落したものとみられている(ヘリオス航空522便墜落事故)。
- 2005年8月16日:ウエスト・カリビアン航空の旅客機がベネズエラ西部で墜落。(ウエスト・カリビアン航空708便墜落事故)
- 2005年8月24日:ペルー国営タンス航空のボーイング737-200型旅客機が、ペルー中部プカルバ付近のジャングルに墜落、炎上した。(タンス航空204便墜落事故)
- 2005年9月5日:インドネシアのマンダラ航空のボーイング737-200型旅客機が、スマトラ島のメダン空港を離陸して1分後に、小爆発を起こしながら住宅地に墜落。少なくとも100名以上、インドネシア上院議員が2名死亡。(マンダラ航空RI091便墜落事故)
- 2005年12月8日:アメリカのサウスウエスト航空のボーイング737-700型旅客機が、悪天候のシカゴ・ミッドウェー空港で着陸に失敗し滑走路を外れてオーバーラン。事故機は空港のフェンスをなぎ倒し、隣接する道路で乗用車と衝突。乗用車に乗っていた6歳の少年が死亡。
- 2005年12月10日:ソソリソ航空1145便(DC-9-30型機)、悪天候のポートハーコート空港で着陸に失敗し、胴体部分が破損、炎上。107人が死亡。→ウィキニュース(ソソリソ航空1145便墜落事故)
- 2006年5月3日:アルマビア航空のエアバスA320が黒海沿岸で墜落。(アルマビア航空エアバス320墜落事故)
- 2006年7月9日:シベリア航空778便(エアバスA310)、イルクーツク国際空港で着陸時に滑走路をオーバーランしてビルに衝突、炎上。124人が死亡。(シベリア航空778便着陸失敗事故)
- 2006年8月22日:ロシア連邦のプルコボ航空のツポレフ154が、保養地アナパからサンクトペテルブルクに向かっている途中、ウクライナ東部のドネツク北方45km地点で墜落。(プルコボ航空612便墜落事故)
- 2006年8月27日:アメリカ合衆国のコムエアーのボンバルディアCRJ100が、ケンタッキー州レキシントンからアトランタへ向け離陸直後、墜落。乗員乗客50名中49名死亡。誤って短い滑走路へ進入したためといわれる。この事故機には邦人2名が乗っていたが死亡。(コムエアー旅客機墜落事故)
- 2006年9月1日:イランエアツアーズのツポレフ154型旅客機が着陸に失敗し炎上。乗客乗員147名のうち29人が死亡した。(イランエアツアーズ航空機着陸失敗事故)
- 2006年9月30日:ゴル航空1907便(ボーイング737型旅客機)が、ブラジル北部のパラ州上空でエンブラエル・レガシー機と衝突し墜落。乗客乗員155名全員死亡という、ブラジル史上最悪の航空機事故となった。ボーイング737NGの初の全損事故でもあった。(ゴル航空1907便墜落事故)
- 2006年10月29日:ナイジェリアのADC航空53便ボーイング737が、アブジャナムディ・アジギヴィ国際空港を離陸直後に墜落。(ADC航空53便墜落事故)
[編集] 航空事故を扱った作品
- メーデー!:航空機事故の真実と真相
- 衝撃の瞬間2 第12回 「スペイン航空機衝突事故」(1977年3月に発生したKLMオランダ航空とパンアメリカン航空の衝突事故を題材としたドキュメンタリー)
- コンコルド墜落事故の真相
- 奇跡の243便
- 1988年4月に発生したアロハ航空機243便事故を題材としたテレビ映画
- ハイジャックを扱った映画だが、飛行中の機体の損傷や操縦困難に陥った機体の状態について考証して制作されている
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 航空・鉄道事故調査委員会
- 航空労組連絡会
- 航空安全推進連絡会議
- 日本の航空事故総覧
- 世界の航空事故総覧
- Aircraft Accident in Japan(1974年以降の日本の航空事故調査報告書。元航空事故調査官による個人サイト)
- Aviation Safety Network(英語版)
- 1985年の日航機墜落事故(20世紀単独機としては最悪の事故)